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国際平和拠点ひろしま

「反戦詩画人 四國五郎を想い ヒロシマを歌う」 声楽家 今田陽次さん

「ヒロシマを伝える歌を、全国各地に届けたい」。今田陽次さんは、反戦詩画人の四國五郎さんの作品を歌う、世界でたった一人の声楽家です。あの日のヒロシマのような日差しの強い夏の日、今田さんが四國さんの作品から感じたものや、ご自身の歌や音楽を通して広島から伝えたいメッセージなどについて、話を伺いました。

 私は江田島市(広島県)出身で、大学で声楽を学び、卒業後は広島を拠点にバリトン歌手としての活動のほか、合唱活動、合唱指導などにあたってきました。「広島で音楽活動をする以上、ヒロシマのことを伝えられる歌い手になりたい」と、ヒロシマを取り上げた文献、記録映像、映画に向き合う中で、四國五郎さんの画集『四國五郎美術館』で『弟への鎮魂歌(抄)』という作品に出合いました。それは戦争への憎しみを込めた詩で、優しい表情の弟さんの絵が添えられた作品でした。

 思い返してみると、四國さんの作品との初めての出合いは、小学校低学年のころに読んだ絵本『おこりじぞう』の絵でした。原爆で傷ついた少女が、やっとたどり着いた笑顔のお地蔵様のもとで水を求めると、お地蔵様が涙を流して少女に飲ませ、少女は微笑みながら亡くなっていく……というお話です。涙を流すときの怒りに満ちたお地蔵様の顔が仁王のようで、本当に恐ろしかったのを覚えています。改めて見返すと、そのほかのページの絵は、亡くなっている人やケガを負っている人でも、優しい表情で美しく描かれています。原爆への怒りと同時に、被爆者への敬意を感じる作風。そこから見える四國さんの生き方に、私は強く惹かれていきました。

 四國五郎さんは1924年生まれで、満州へ徴兵、シベリア抑留からの生還後、弟さんが原爆で亡くなったことを知ったそうです。「戦争が終わったら、一緒に絵を描こう」と約束するほど仲の良かった弟さんの死を受け、画家になるために上京する夢を諦めて広島に残り、詩人の峠三吉さんらと共に、戦後のGHQ統制下の弾圧や差別にも負けることなく、反戦活動をされました。生涯にわたって平和を訴え続け、2014年に亡くなられています。
 四國さんのことを調べるほど、私自身との共通点が見つかりました。原爆で亡くなった弟さんは直登さんというお名前で、漢字は違いますが私の息子も同じ名前です。また、直登さんの命日と私の次女の誕生日が同じで驚きました。私は被爆三世ですが、ヒロシマを実体験していない者が被爆者の皆さんのつらい経験を伝えることの難しさを感じていました。四國さんとの結び付きに鳥肌が立ち、「四國さんの想いを歌いたい」とより強く思うようになりました。
 ちょうどそのころ、四國さんの作品展が広島市内で行われ、初日に訪ねました。ご本人はすでに亡くなられていたので、そこにいらした息子さんに「作品を歌わせていただきたい」とお願いしました。とても驚いておられましたが、「絵を見て鑑賞するは二次元、音楽は三次元。新たな次元で表現力があがってうれしい」という言葉をいただきました。

 そして現在、四國さんの詩『弟への鎮魂歌(抄)』『奪われたもの』『灯ろう流し』の3曲を歌わせていただいています。いずれも歌い手は私、ピアニストは山下雅靖さんです。今後もこの2人でしか四國さんの作品を演奏しないことを、ご家族と約束しています。
 詩の場面を思い浮かべながら歌うため、時に気持ちが入りすぎて涙を流してしまうこともありますが、本来は四國さんの詩を私の体を使って表現することが目的です。私の想いを乗せるのではなく、四國さんが描いた世界観をそのままに表現するよう心がけています。
 2020年には、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館や長崎で歌うことができました。四國さんの詩を歌えるのは世界で私一人なので、いろんな場で歌いたいという想いもあり、2021年春に勤め先を離れ、音楽活動に専念しています。ホームページで平和学習の依頼を受け付け、小学校や中学校を訪問しながら、四國さんの反戦平和活動の紹介とともに、歌で詩に込められた平和へのメッセージを届けています。

 このような活動をしていると、平和を歌ったり聴いたりすることに身構えてしまう、難しいことというイメージを持つ方が多いように感じます。平和を優しく分かりやすく伝えるにはどうすればいいのかを模索していますが、詩を歌にして伝えるという新しいアプローチによって、これまで平和活動に接点のない方との接点を作っていけたらうれしいです。
 
 四國さんはある言葉を残しています。「死んだ人びとに代わって絵を描こう。戦争反対・核兵器廃絶を。人間同志は母と子に見る功利を超えた愛を出発点に、手を結びあえることを絵にしよう。芸術になろうが、なるまいが…」。
 四國さんの力を借りて、広島から全国へ、そして世界へとヒロシマを伝えることで平和を訴えていきたいです。すべての機会を大事に、すべて全力で。

今田陽次(いまだ・ようじ)
広島県江田島市出身。エリザベト音楽大学宗教声楽コース卒業。反戦詩画人四國五郎の作品に出合い、2019年11月に『弟への鎮魂歌(抄)』を初演奏。ほかにも『奪われたもの』『灯ろう流し』など歌う。音楽教室「うたの教室」代表。2021年春から、フリーの声楽家として活動する。

HP:utano-kyoushitu.com 

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