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国際平和拠点ひろしま

建物コラム①「広島平和記念資料館」

 広島平和記念資料館(本館)は、平和記念都市広島のシンボルというだけでなく、戦後日本の建築はここから始まったといっても過言ではない、記念碑的な作品です。戦後の建物として初の国指定重要文化財になったのが、東京・大阪ではなく広島の2作品(この資料館と世界平和記念聖堂)であることは、その証といえるでしょう。

 公園とともに資料館を設計した丹下健三(たんげけんぞう・1913-2005)は、東京五輪や大阪万博の施設設計を手がけるなど、戦後日本を代表する建築家です。丹下は戦前期の広島で学生生活を送り、被爆後の広島を調査して復興都市計画を提案するなど、広島に縁のある人物でもありました。

 丹下は平和記念公園のコンセプトを「平和を創る工場」と定め、次のように考えを述べています。

平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。平和は自然からも神からも与へられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである。この広島の平和を記念するための施設も与えられ平和を観念的に記念するためのものではなく平和を創り出すといふ建設的な意味をもつものでなければならない。わたし達はこれについて、先づはじめに、いま、建設しようとする施設は、平和を創り出すための工場でありたいと考へた。
(参考文献①より)

 丹下は都市全体を見据えて、その空間的・精神的な中心をつくろうとしました。まず資料館の建物は端に寄せて中央に大きな広場を設け、かつての繁華街だった旧西国街道の道筋を残しました。さらに平和大通りから原爆ドームに伸びる軸線を定め、軸線を塞がないよう資料館の1階をピロティ(壁のない吹きさらし空間)としました。この大きなピロティによって、都市が巨大化した現代でもシンボル性を保つことに成功しています。

丹下健三による初期(コンペ応募時)の案「広島市公文書館所蔵」

 資料館の建物は機能を重視したモダニズムと呼ばれるスタイルで、「平和を創る工場」にふさわしい普遍的なデザインが志向されています。各所の造形にはル・コルビュジェ(モダニズムを提唱した世界的な建築家)の強い影響を感じさせますが、ピロティを通して視対象である原爆ドームを見せるなど、独自のアイディアも多く盛り込まれています。

ピロティを通して原爆ドームを見せる

資料館の建物で唯一ヒューマンスケールが現れるのが階段。
柱の配置は横一線ではなく微妙に前後する。

 破壊された都市の復元を基本とするヨーロッパの戦災復興とは違い、広島の復興は整然としたモダン都市への再生であり、モダン都市広島と資料館の建物は完璧といっていい調和を見せています。都市と一体となって戦災復興を表現しているモダニズム建築は世界的にも唯一無二の存在です。また、参列者が原爆ドームに向かって祈りを捧げる平和記念式典のスタイルもこの建築と公園があってこそで、デザインによって広島という都市のあり方にまで影響を与えたところに、巨匠と呼ばれた丹下の凄みがあります。

 資料館の建物はシンプルな箱に見えますが、じっくり観察すると細部が徹底的に作り込まれていることに気付き、俯瞰的に見ると都市との調和が考え抜かれていることに驚かされます。そして、根底にある復興への思いやエネルギーに感銘を覚えます。資料館見学の際には、ぜひ建築と公園のデザインにも注目してみてください。

建物の竣工前、1953年の8月6日の様子「広島市公文書館所蔵」

<建物DATA>
・所在地:広島県広島市中区中島町1-2
・竣工: 1955年
・設計: 丹下健三 計画研究室
・国指定重要文化財
・一般公開されている。詳細は施設ホームページを参照。
広島平和記念資料館HP⇒ https://hpmmuseum.jp/

<参考文献>
①「丹下健三」 丹下健三・藤森照信 2002年 新建築社
②「廣島計画」 雑誌 新建築1954年1月号

【筆者プロフィール】
高田 真(たかた・まこと)
1978年広島生まれ。都市プランナー。アーキウォーク広島 代表。
建築公開イベントや建築ガイドブック出版などを通して、広島の建築の魅力を発信している。著書『アーキマップ広島』

 

 

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