建物コラム④ 「イエズス会聖ヨハネ修道院 黙想の家」
広島デルタの北側、広島市安佐南区長束の小高い丘に建つイエズス会(カトリック修道会)の修道院。1938年に建てられたもので、当初は修練院と呼ばれるイエズス会士の養成施設でした。キリスト教らしからぬ和風の外観は、周辺の家々になじませるためとも言われています。
この建物のデザイン上の特徴は、和と洋が一体となって修練院にふさわしい空間を構成している点にあります。外観は基本的に和風なのですが、平面計画は概ね左右対称で洋館に近い形をしています。また、細部を観察すると、破風(はふ)を彩る懸魚(げぎょ)に十字架が付き、仏塔のような形の鐘楼に十字架が載るなど、キリスト教の施設であることがさりげなくアピールされているのに気づきます。
和風の建物に十字架が付いている
一階にある聖堂は畳敷きで、丸柱によって小・大・小の三つの空間に分けられています。この配置は西欧の教会建築に見られる三廊式バシリカそのもので、外国人修道士の滞在を想定して天井が高めになっていることもあり、空間の印象は仏教寺院などとは異なります。しかしながら、天井は吹寄せ格天井(ごうてんじょう)、柱の頂部に舟肘木(ふなひじき)が付き、壁は真壁(しんかべ)で長押(なげし)が回されている、内陣にあたる奥のスペースは床の間になっているなど、空間を構成する一つ一つの要素はあくまで和風です。既存の和風の建物を教会に転用した例は多くあったようですが、本作のように和風の要素だけを使って聖堂にふさわしい空間を一から作り上げているのはとても珍しく、貴重なものといえます。
畳敷きの聖堂
三つの空間が並ぶ「三廊式バシリカ」の例(世界平和記念聖堂 ◆聖堂内部は事前に許可を得て撮影)
聖堂奥の左右は床の間になっている
屋根裏に入ってみると、屋根を支える構造が伝統的な和小屋ではなく、西欧に由来するトラス(洋小屋)だと分かります。トラスの強みは細い部材で幅広の屋根を支えられる点にありますが、本作の屋根の幅はそれほど広くないのに太い部材でトラスが構成されており、より頑丈な建物にしたいという設計意図を感じさせます
トラス
原爆の強烈な爆風は市街地から離れたこの地にもおよび、ガラスが割れて天井が湾曲し、爆心地側の柱が折れるなどの被害がありました。当時の院長だったペドロ・アルペ神父には医術の心得があり、避難してくる多くの負傷者に聖堂を開放して救護活動にあたりました。幟町教会で被爆し、戦後に世界平和記念聖堂建立に奔走することになるフーゴー・ラサール神父も、ここで治療を受けています。
アルペ神父の像
広島に残る被爆建物にはさまざまなものがありますが、この建物は外装からインテリアに至るまで往時の姿が残されており、独特のデザインや構造に触れられるのが特徴です。また、被爆時に損傷しつつも修復され、長きにわたって使われ続けてきたことで、多くのストーリーが込められた建物ともなっています。
※本記事に掲載の写真は一部を除き著者撮影
<建物DATA>
・所在地:広島県広島市安佐南区長束西2-1-36
・竣工: 1938年
・設計: 不詳
・非公開
◆事前連絡のうえで許可を得れば見学可能。施設内はお静かに
【問い合わせ】082-239-0034
<参考文献>
「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島市+被爆建造物調査研究会 1996年
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