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国際平和拠点ひろしま

復興を支えた被爆電車 第1回「651号」

  

    

(林重男氏撮影 広島平和記念資料館提供)

    

  

たった1発の原子爆弾によって広島が壊滅した1945(昭和20)年8月6日。広島の街は焼け野原となり、当日だけでも約5万3000人以上、同年の年末までに約14万人といわれる多くの無辜の市民が犠牲となりました。

現在、広島の街を象徴する風景の一つでもある路面電車も壊滅的な被害を受け、全線不通となりました。しかしながら、原爆投下からわずか3日後、関係者たちの不撓不屈の努力によって一部区間が復旧し、路面電車は運転を再開したのです。その後、被爆した電車の多くは修理され、市民の足として復帰を果たしました。

この被爆しながらも復活した電車は、いつしか「被爆電車」と呼ばれるようになり、復興へと歩みだした広島の街を支えてきたのです。そして現在でも3両の被爆電車がこの街で走り続けています。今回はそのうちの1両である651号を紹介します。

    

    

最新の車両だった651

1943年(昭和18年)広島市中区「十日市」付近を走る651号

(広島電鉄提供)

   

   

651号が属する「650形」という車両は、広島電鉄の前身、広島瓦斯電軌株式会社の発注により、大阪の木南車両で戦中に製作されました。四角いボディーでありながら全体的に丸みを帯びた車体は、今でこそクラシカルに見えますが、完成時はモダンなデザインでした。

当時は多くの乗務員が兵隊として戦地へ送られ、電車の運行数にも影響が出ていました。そこで大型の車両で一度に大勢の人を運ぼうという発想のもとで作られたのが「650形」でした。その最大の特徴は、現在では広く新幹線などにも使われていますが、当時としては最新式のボギー台車にありました。それは車輪を備える台車がレールのカーブに沿って左右にスイングする仕組みになっていて、これにより大型車両でも難なくカーブを曲がれるというものでした。

    

  

(岸田貢宜氏撮影・岸田哲平提供)

   

8月6日当日、651号は爆心地から約700m離れた広島市中区「中電前」あたりを走行中に被爆しました。ドアや屋根の集電装置はすべて吹き飛ばされ、半焼状態となったその惨状は、1枚の写真に残されています。

   

    

     

651号は被爆した翌年(1946年 昭和21年)3月には修理を終えて復帰します。瓦礫の山となった街を力強く走るその姿に、多くの市民が励まされ、勇気づけられたといいます。

その後651号は時代に合わせた改良を重ね、今でも現役で市民の足となって広島の街を走っています。広島の街で普段目にする車両、また通勤や買い物に利用する車両が、この被爆電車かもしれません。戦中から戦後、昭和から令和までを走り続ける時代の生き証人の息吹と、そこに刻まれた歴史を感じてみてはいかがでしょう。

    

    

(この記事は下記の書籍を元に制作しました)

制作協力:広島電鉄(2017年発刊)

価格:2500円+税

ISBN:978-4862505279

     

復興を支えた被爆電車 連載2回目

  

    

平和学習事業の紹介

広島の復興について知る:「広島の復興の歩み」

小冊子「広島の復興の歩み」では、路面電車の復旧の様子も含め、被爆後の広島がどのように復興したのか解説しています。

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