共に歩んだカープと広島
(提供/中国新聞社)
広島の復興への道のりは、カープと共に歩んだ県民の歴史とも言えるだろう。
人類史上初めて投下された原子爆弾によって壊滅した広島の街。75年は草木も生えぬ街だと呼ばれた。ところが被爆から3日後には路面電車が走り、地元の中国新聞も発刊にこぎつけ、広島の人々は動き出した。
その中国新聞に広島発のプロ野球チーム名が「鯉(カープ)」と載ったのは、1949年(昭和24年)9月28日。原爆投下からわずか4年1カ月のことだった。
中国新聞朝刊 1949年(昭和24年)9月28日掲載
この年、プロ野球は2リーグ制が提唱され、広島にもプロ球団を作ろうとなったが、原爆から復興途中の広島県にプロ球団を抱えられる親会社はなかった。そこで、広島県を筆頭に広島市、呉市、福山市、尾道市、三原市で出資し、郷土に根ざしたチーム「鯉(カープ)」を創立準備委員長の谷川昇の下で誕生させた。
それはまさに、復興から立ち上がる人々の希望。カープの戦いを自分のことのように一喜一憂し、広島の人たちは心の底からカープを応援し続けた。
資金不足ながら、カープ初代監督・石本秀一の人脈で集められた選手らは、何とか1950年(昭和25年)の初年度を戦った。しかし首位から59ゲーム離されて最下位に。当時ギャラは多くは望めず、球団は累計600万円(当時)もの赤字を抱えた。
カープはやっていけない——
通称「たる募金」で集められた基金がカープ球団に手渡された(提供/中国新聞社)
水面下で大洋との吸収合併の話が進んだのは、1951年(昭和26年)3月14日のこと。NHKラジオが「カープは大洋と合併」と伝えた。放送の後、会議の席に呼ばれた石本監督は後援会結成を力説し、ファンからの浄財で球団経営を成り立たせることで存続に向かわせる。
3月20日には、広島県庁(現広島大学病院)前で、石本監督が熱弁をふるった。「いま、この広島からカープをなくせば、二度と郷土に根ざした球団が存在することはできません」とカープ存続と、資金協力を呼びかけた。すぐさま県庁秘書課と会計課から4300円が集められた。試合が行われる日には広島総合グラウンド入口に大きな酒樽が置かれ、県民・市民から、きっと生活のために欠かすことのできないお金が惜し気もなく酒樽に入れられた。
1957年(昭和32年7月)原爆ドーム前にナイター設備を持つ旧広島市民球場が完成。対阪神戦で初のナイター試合。長谷川良平投手が第1球(提供/中国新聞社)
困難続きのカープに光明が差し込むのは、球団創設から26年目の1975年(昭和50年)のことだ。カープは日本プロ野球史上初の外国人監督ジョー・ルーツが指揮を執り、ヘルメットを赤にして「赤は戦う色だ」と選手らに闘志を植えつけた。そしてルーツから指揮権を引き継いだ古葉竹識監督は、山本浩二や衣笠祥雄らを中心とした選手たちをまとめ、同年10月15日後楽園球場で宙に舞った。カープ悲願の初優勝の瞬間。被爆から復興する広島の希望の証が頂点に上り詰めたのだ。
広島平和大通りでの優勝パレードには約30万人の人々が駆け付けた。歓喜に包まれる沿道には家族の遺影を抱える姿もあった。カープを物心共に支えながら、復興を目指して汗して働いた先達らの思いが選手たちに届けられた。
カープファンの熱烈な声援は、球団発足から70年経った今でも、毎試合選手たちに届けられている(写真は2019年5月の様子)
戦後、広島の人々からカープへの声援が止むことはなかった。広島を本拠地とするカープが、野球を通して平和のメッセージを発信し続ける姿が揺らぐこともなかった。現在でも原爆が投下された8月6日に近い日行われるホームゲームは「ピースナイター」と称して、選手とファンとが一緒に黙とうを捧げ、原爆犠牲者の方たちを追悼し、野球を楽しめる喜びと感謝を伝えている(2020年は8月7日対阪神戦で開催予定)。この日の試合を主催する団体の一つ生協ひろしまは「広島にあるプロスポーツを通じて核兵器の廃絶を訴え、次世代を担う子どもたちに平和の尊さを感じて欲しいと願って、2008年(平成20年)からピースナイターを開催しています」とコメント。
広島と共に歩んできた70年の歴史。カープの存在は、今でも広島の人たちの希望であることに変わりはない。原爆ドームの目の前にあった旧広島市民球場から、世界に誇るベースボールパーク・マツダスタジアムに戦いの場を移しても、カープへの声援はいつまでも続いていく。
Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島(広島市民球場)
住:広島市南区南蟹屋2-3-1
電:082-568-2777(管理事務室)
HP:https://www.carp.co.jp/(広島東洋カープ公式)
平和学習事業の紹介
スポーツと平和
2019国際平和のための世界経済人会議では,オリンピックメダリストで国際フェンシング連盟副会長の太田雄貴氏に登壇いただきました。 太田氏のセッションについては動画をご覧ください。
スポーツと平和この記事に関連付けられているタグ