広島育ちではない視点で 被爆の実相や平和の大切さを国内外に伝える
原爆の実相を伝えるヒロシマピースボランティアとして活動するため、新潟から広島へ移住した渡邊裕子さん。8月6日生まれで、幼い頃から被爆地広島とのつながりを感じていたという渡邊さんは、解説の冒頭で「原爆が投下された8時15分。今日のその時刻、皆さんは何をしていましたか?」と投げかけ、何気ない日常が奪われたその瞬間を想像してもらうといいます。広島での活動を始めるきっかけになった痛烈な経験や、現在の想いなどをお聞きしました。
私が広島へ移住してまでピースボランティアの活動を始めたのは、語学学習のために訪れたフィリピンでの経験がきっかけです。現地のフィリピン人からマンツーマン指導を受ける中で、「日本人は大好き。でも、なぜ私のおじいちゃんおばあちゃんの世代が日本人に殺されてしまったのか分からない」とサラッと言われたことに大きな衝撃を受けました。また、別のフィリピン人から「アメリカはフィリピン人を守るために日本に原爆を落としてくれた」と誇らしげに言われたこともあります。あれほど心を激しく動かされた言葉はありませんでした。それまで「原爆」や戦争のことを日本の被害の視点からしか考えられていなかったことに気づかされ、とてもショックでした。だからこそ、戦争の歴史や日本の加害についてもしっかり勉強しなければと思い、フィリピンから広島平和記念資料館のピースボランティアの研修に応募しました。仕事を辞めて渡航していたこともあり、その時点で「思い切って広島で学ぼう」と決心したのです。
実は、フィリピンを訪れる前に広島平和記念資料館を見学したことがありました。このときにピースボランティアの方が展示物の解説をされていて、何気なく耳を傾けているうちに、自分一人で見学しているだけでは分からないことがたくさんあることを実感し、また広島を訪れたいと思っていました。それもまた、偶然ピースボランティアの募集を見つけた時、広島へ行こうと決めた一つのきっかけになったのかもしれません。
私はピースボランティアに登録していて、資料館と平和記念公園内の解説を担当しています。ただ、今は残念ながらコロナ禍のために活動が思うようにできていません。そこで、この期間を活用して、他のボランティアたちを含むグループとともにオンラインによる勉強会や、英語での解説を行うための準備などをしています。最初に取り組んだのが、アメリカ人の作家さんと、被爆して白血病と闘いながら折り鶴を折って亡くなった原爆の子の像のモデルである佐々木禎子さんの兄・雅弘さんが一緒に書かれた本『The Complete Story of Sadako Sasaki and the Thousand Paper Cranes』を読むことでした。
この本のおかげで、あまり知られていない禎子さんのストーリーをたどることができ、原爆の子の像を説明する際にも新しい視点のエピソードを盛り込んでいます。今は、アメリカの小学生の学習で実際に使われている本や、戦争にまつわる知識のベースになっている英語の資料の翻訳などにも取り組み、解説に生かそうと考えています。
また、ピースボランティア以外の方も仲間に加わり、パールハーバーやアメリカ本土とつないでのオンラインガイドも行いました。現地でのガイドは難しいので、モニュメントなどの写真やパワーポイントを使ってのガイドを事前にビデオ撮りしておき、その映像をイベントなどで流す試みなどを行っているところです。
こうした取り組みの目的の一つは、戦争に対するさまざまな視点を学ぶことにもあります。広島で活動をしていると、どうしても日本が受けた被害を中心に説明することになるのですが、日本も加害者としての一面があり、日本以外の国が受けた被害を知った上で説明するのとそうでないのとでは、やはり違うのではないかと思うのです。これまではボランティア一人一人が個人で活動していましたが、多角的な視点を持つため、みんなで一緒に勉強したり、一人が知っていることをみんなでシェアするようにしています。新しい活動を通じて、以前から自分がやりたかったことに、近づくことができているなという実感があります。また、一緒に活動し始めたボランティアの方々のバックグラウンドや想いの強さも改めて知ることができました。
ボランティアの中には、ご家族が被爆されたという方も多くいらっしゃいます。ご家族の経験を中心に語られるのと、私のように知識を拠りどころに語るのとでは、訴える内容や伝わるものが全然違うなと感じます。広島の方の「伝えたい」という想いは本当に強く、私は意気込んで広島にやってきたものの、自分がボランティアを続けていいのかと悩んだこともありました。それでも自分を励ますことができたのは、被爆の実相を知らない人の視点が自分にあると思えたから。平和教育を受けてきた広島の方とそうでない方では、戦争や被爆についての知識に差があり、それは新潟生まれの私が研修中に感じたことでもあります。そんな私の視点から、なるほどと思ったり感動したりしたことを伝えると、「知らないことをたくさん知ることができました。ありがとう」と言ってくださることも多いです。
今後は、英語での解説に加えて、もっと戦争そのものについてさまざまな視点から勉強したいと考えています。私の故郷である新潟県も、花火大会で全国的に有名な長岡市が空襲を受けました。戦前から歴史のある長岡の花火大会は、空襲の犠牲者への慰霊と復興と平和を願い、戦後すぐに復活しました。パールハーバーのあるホノルル市でも慰霊と平和への願いを込めて、長岡の花火が打ち上げられていて、それを知ったのは広島に来てからです。他にも、私の活動の原点となったフィリピンで戦争時に何が起きたのかなど、もっともっと勉強して、きちんと知らなければいけないという思いを強くしています。
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