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国際平和拠点ひろしま

Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol1II 地方拠点都市へ

1工業都市としての歩み

明治期の広島には紡績業以外に大規模な工場はなく,概して工業生産は低調であった。そのなかにあって,マッチ,缶詰,縫い針などが広島の工業を特徴づけた。マッチは輸出産業として第1次世界大戦期にピークを迎えたが,その後の国際競争や技術革新に後れを取り,急激に衰退する。縫い針も同様に第1次世界大戦期にピークを迎えたが,生産過程の改善もあって,その後も地場産業としての地位を保った。缶詰生産は海軍への納入,日清戦争や,日露戦争による需要急増で盛んとなり,小規模な工場が多数設立された。大正12(1923)年の統計では,牛肉缶詰の82%を広島県が占めていた。軍・戦争との結びつきが強い缶詰生産は,日中戦争勃発により急増する。

広島における近代的大工場のさきがけは,官営工場として安芸郡上瀬野村に設立された広島紡績所である。明治15(1882)年,工場竣工と同時に士族授産会社の広島綿糸紡績会社に払い下げられ,操業を開始し,同18年に広島の河原町に移転し,広島随一の工場として稼働した。紡績業はその後も広島の主要産業であった。

第1次世界大戦後には,帝国人絹の広島工場が南千田町に立地した。同工場は10年ほどで閉鎖されるが,代わって錦華人絹広島工場が宇品に立地する。ゴム製品工業・製紙業もこのころから生産が急増した。金属機械工業も勃興し,大正9(1920)年に日本製鋼所が広島工場を発足させ,兵器を生産した。同年,東洋コルクが創立された。同社は,昭和2(1927)年に東洋工業と改称し,海軍の下請け生産を始め,同6年には安芸郡府中町に移転し,三輪トラックの発売を開始した。戦時期には広島工業港建設事業が進められ,江波地先に三菱重工業広島造船所,観音地先に同広島機械製作所が立地した。このように,大工場が第1次世界大戦後から第2次世界大戦中にかけて誕生し,重化学工業が広島の産業の主役になっていき,戦時期には軍需生産に傾斜して発展した。これらの大企業と呉海軍工廠の下請けを行う中小零細企業も発達した。戦後の工業都市広島の原型をそこに見ることもできる。

2学都広島

広島は学都でもあった。広島高等師範学校が設置されたのが出発点であった。日清戦後経営の一環として中等教育の拡充が図られると,教員確保のため第2高等師範学校設立計画が浮上した。このとき,江木千之県知事が広島市誘致に動き,文部省と交渉,県会も敷地・寄付金の提供を決議し,意を示した。こうした運動もあって,広島設置が決まり,明治35(1902)年に開校した。広島高等師範学校は,東京高等師範学校とならんで東西の教育の総本山と称されるようになった。さらに,昭和4(1929)年には高等師範学校を母体に広島文理科大学が設置された。

大正9(1920)年には広島高等工業学校が設置された。全国に2か所に高等工業学校を新設する計画に広島県が呼応して誘致したものであった。一方,高等学校については,明治33(1900)年に岡山に第6高等学校が設置され,広島にも設置することが悲願となっていた。大正7(1918)年に高等学校大増設が計画されると,県・市・民間をあげて大運動を展開した。そうしたなかで,大正12年に広島高等学校が創立された。そのほか,県立女子専門学校,広島女学院専門学校など高等教育機関が充実していった。公私各種の中等教育・実業教育機関の発達とあわせ,広島は教育都市,学都の名にふさわしい成長を遂げた。

3拠点都市広島

広島は6大都市に次ぐ人口規模を有する地方拠点都市であった。中四国地方,もしくは中国地方を管轄する官庁の多くが広島に設置された。同様に全国企業の支店立地にあたっても,広島の地を選ぶケースが多かった。中国海運局・広島控訴院・広島鉄道管理部・広島逓信局・広島財務局などの官公署,広島中央放送局・日銀・勧銀・日通などの支店が置かれていた。

一方,県レベルの企業の本店(本社)も広島に立地する場合が多かった。電力会社や銀行は,明治期には県内の各地域で設立されていたが,合併を繰り返して,大規模化し,戦時期(アジア太平洋戦争期)には企業統制による合併が行われた。大正9(1920)年に7銀行の合同で設立された芸備銀行は,その後,県内外の銀行を次々に合併した。最後には5銀行となったが,昭和20(1945)年4月に合併し,芸備銀行が県内唯一の銀行となった。電力会社の場合,各地に設立された小会社が第1次世界大戦期に広島電燈と広島呉電力に吸収され,大正10(1921)年,両社合併により広島電気が設立された。戦時期には,電力の国家管理が進められ,中国地方全域をエリアとする中国配電が設立された。地域のなかでは,広島にヒト・カネ・モノが集中するようになる。

(安藤福平)


注・参考文献

・広島市役所『新修広島市史』全 7 巻,1958 年3月~ 1961 年2月

・広島県『広島県史』近代2,1981 年3月

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