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国際平和拠点ひろしま

Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol1III まとめにかえて

以上のように,戦災復興計画は,広島では藩政時代の城下町の都市構造が色濃く残っていた町を,戦災を契機として都市を近代化する役割を担ったものであり,同時に,その町の持っていた歴史的な雰囲気や痕跡を断ち切り,無性格な側面を強くするものであったともいえる。このような都市改造が比較的短期間に日本の主要都市,多くの戦災都市において実施されたのであり,壮大な試みであったといえよう。

一方,広島における被爆都市としての復興計画は,都市の近代化の使命を持ちつつ,被爆したことを意識しつつ,何らかのメッセージを伝えるべくスタートした町づくりであったといえよう。ただ当初の戦災復興計画は,十分に吟味が進まない段階で,あまりに短期間に決定して事業化することを迫られ,一方で,逼迫する財政状態によって復興事業が行き詰まり,結果的に当初計画を見直す事態に追い込まれた。

復興計画を実現するということは,公共用地を確保するために区画整理を伴うという形となった。すなわち,区画整理区域内でなければ,実現が担保されないということになった。この土地区画整理事業は費用も時間もかかるという難事業であり,簡単には進捗しなかった。基盤が整備されないまま,住宅等の建設への要求は強まる一方であり,市民の不満も高まるという状況が続いたのである。

日本における復興過程の最大の特徴は,土地の基盤を整備することが行政の仕事であり,その土地を利用して建物を建てたり,利用したりするのは,土地の所有者(あるいは利用権を有する主体)自身に任されてしまうことであった。どのような建物がどのように建つかは,まさに民力に頼るしかなかった。ここに日本の復興過程の基本的特質があった。

(石丸紀興)


参考文献

・建設省編・著『戦災復興誌第1巻』(都市計画協会発行,1959),全 10 巻の内の1巻

・第一復員省編・国立国会図書館所蔵『日本都市戦災地図』(原書房,1983)

・石田頼房著『日本近代都市計画の百年』(自治体研究社,1987)

・広島市編『広島新史都市文化編』(広島市発行,1983)

・井上亮『焦土からの再生・戦災復興はいかに成し得たか』(新潮社,2012)

・広島市都市計画局計画調整課『Town Planning in Hiroshima 広島の都市計画』(広島市発行)

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