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国際平和拠点ひろしま

Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol3「原爆孤児」-語られざる軌跡

西本 雅実(にしもと まさみ)


中国新聞社特別編集委員
昭和31 (1956)年広島市生まれ。 55年中国新聞社入社(記者職)。
共著に『世界のヒバクシャ』(講談社)『検証ヒロシマ』(中国新聞社)、
単著に『1945原爆と中国新聞』(同)など。

はじめに

史上初めて昭和20 (1945)年 8月 6目、広島市に投下された原爆は、生き残った人々の暮らしを一変させた。親や伴侶、子ども、きょうだいら肉親を奪われたうえに、住まいや働く場を失い、地域社会も根こそぎ破壊された。
とりわけ辛酸をなめたのが、「原爆孤児」と呼ばれた人たちである 。広島県内の孤児は、公的な扶助も乏しかった終戦後の混乱期、厚生省が23年にまとめていた全国調査によると、東京や大阪を上回る最多の5975人を数えた1。
しかし今、心身に深い傷を負った孤児がそれだけいたことも、生き抜いた半生も、 顧みられたり語られたりすることは少ない。
なぜなのか。本稿では、「原爆孤児」をめぐる軌跡を、現存が分かった 1次資料や知られざる記録とともに掘り起こす。筆者のこれまでの取材にあえて応じた当事者の証言も記し、原爆被害からの人間の 「再生」とは何かを考える。


1 厚生省大臣官房総務課統計係 『厚生統計月報(第 2巻第 2号)』昭和23年 5月 88頁

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