Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol43 「思い・願い」
被爆者は,いわゆる「空白の10年」17)を経て,頑なに「核なき世界」を標榜し続け,同時に,それを被爆者の切なるメッセージとして,日本国内外に発してきた。「空白の10年」以降60年以上,揺らぎもなく,同じメッセージを発信し続けるその原動力は,自身の悲惨な被爆体験に基づく,「No More Hiroshima」,「No More Nagasaki」,「No More Hibakusha」という強い願いであるのかもしれない。よく指摘されるように被爆者運動の両輪の一輪は,「核兵器廃絶運動」であり,その実現のために,国際活動,国会請願署名活動,抗議運動等の様々な運動を積極的に展開してきた18)。2005年朝日新聞アンケート調査における自由記述回答(証言)6,782点もそれを雄弁に物語る。そこには,「世界」,「平和」,「核兵器」,「核」という単語が高頻度に出現する。「核(兵器)廃絶」による「世界の平和」が,被爆者のメッセージ,そして思い・願いの核心的部分であることを示している19)。被爆体験を経て,核兵器のない世界平和を標榜し,核廃絶の言説をリードする被爆者のメッセージがここに凝縮されている。「核兵器」・「核」,「世界(の)平和」に関する用例を次に示す。
朝日新聞 「被爆60年ア ンケート」自由記述における「核」・「核兵器」の用例
可哀想でなりません。世界中の人が |
核をなくし戦争を止めて,同じ皆人間だから |
朝日新聞 「被爆60年アンケート」自由記述における「世界(の) 平和」の用例
忘れることはありません。ひたすら |
世界の平和と福祉の日本の国を念願に生きて |
しかしながら,実はそればかりではなく,投下に対する恨み,つらみの感情,あるいは原爆投下の責任,投下に対する謝罪に対しても忸怩たる思いがある。詳しくは,川本・川野(2015)で論じたので20),ここでは繰り返さないが,原爆を投下した米国に憎しみもあるし,投下した米国に謝罪を求める気持ちもある。日米両国に対する投下の責任も追及したいと思っている。被爆者は,こういった恨み,投下の責任といった感情と共存しながらも,「核なき世界」という理想を掲げ,世界平和を標榜する。そういった複雑な感情がありながらも,それを乗り越え,あるいは共存しながら被爆者は,「世界平和」,「核なき世界」を訴え続ける。これをも含めて,被爆者の思いとして捉えたい。同時に,それをも理解し,次の世代に伝えていく責務が私たちにはあると思えてならない。
17)坪井直広島県原爆被害者団体協議会理事長は,「空白の10年」を「何とか生き残った被爆者も,その後の十年(1945~1955年)は,行政による援護も焼け石に水で,一族,知人の援護もままならず,また相談相手としての本格的な組織もなく,ただただ耐えて,一日一日を精一杯生きる他はなかった」時代と表現する(広島県原爆被害者団体協議会編:発刊に寄せて)。
18)詳しくは.日本原水爆被害者団体協議会ホームページを参照。http://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/(2018年1月26日アクセス)。
19)詳しくは拙稿(2010a)と拙稿(2010b)を参照。
20)たとえば,「原爆を投下した米国に憎しみを感じたことがありますか」という設問に対し,回答総数1,943人のうち,23%である446人が「憎んでいる」と答え,54%の1,050人が「かつて憎んでいたが,今は憎んでいない」と回答している。また,オパマ米国大統領訪問前であるが,2015年朝日新聞アンケート調査によると43%の回答者が,米国大統領は「広島・長崎を訪問し,謝罪すべき」と回答している。