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国際平和拠点ひろしま

Future Leaders' Program 2019 - Augustグローバル未来塾inひろしま2019 第4期研修報告(8月9日)Vol.1

8月9日(金)に行われた第4期グローバル未来塾inひろしまの研修について受講生からの報告書をお伝えします。講師は東京大学 藤原帰一教授です。

(受講生からの報告書を編集せず掲載しています。)

【報告書1】

講義名 国際関係から見た核兵器と平和

研修講師名 東京大学 藤原帰一教授

報告者 広島県立呉三津田高校 岩岡風花

藤原教授はまず、「平和」とは何か、根本的な意味について講義された。また、時代背景によって変わっていく人々の戦争に対する考え方などについても講義された。

1点目に「平和」をどう考えるかについて。平和には2つの視点がある。消極的平和と積極的平和だ。前者は世界を平和にするために「戦争」のみをなくすべきだという観点。つまり「死」を取り除けば平和は達成されるというのに対し、後者は死のみならず構造的暴力をなくさないと平和は達成されないという広い観点。これは人々が安全に暮らせる社会をめざしている。また、教授はこの2つ観点を個々にとらえるのではなく両方を望むことが大切だとおっしゃった。

2点目に、時代と共に人々がどのように戦争を考えたかについて。古代、戦争は神の仕業で避けることができないものとされていた。しかし近代化により人間が主体的になり、戦争は政治の「政策」の手段として正当化されていった。しかし、破壊力が増していき被害が拡大していく中で、戦争は絶対悪として認識されるようになった。

3点目に日本の「平和主義」について。日本はWW1、WW2に参戦し多大な被害を出した。特にWW2では広島、長崎への原爆投下による、民間人の犠牲者が数えきれないほどだった。日本はその教訓をうけ、平和憲法を授与した。この憲法が国民の支持を得たのは、国民が戦争の恐ろしさを身をもって体感したからだった。そして広島の訴えが全国に広がり、日本は「平和主義国」として世界に戦争の恐ろしさを伝えていくこととなる。しかし、戦争をしないということは国外で起きている戦争にも関与しないことになるため、「孤立主義」とよばれしばしば外国から非難をうけている。

4点目に誰の視点から戦争と平和を語るかについて。日本は原爆犠牲者のみを語りがちだが、南京事件での中国人の犠牲者、靖国での日本軍兵士の犠牲者など日本以外の国にも大勢の犠牲者がいる。戦争について語るとき、自分たちに都合のいい選び方をするのではなく、あらゆる視点から、だれの戦争で、その犠牲者は誰だったのかを共有していくことが大切だ。そこで、私は、中国と日本の歴史の教科書の内容が異なったり、アメリカの授業で原爆は正しい判断だったなど、国によって歴史の教え方が違う現状についてどう思うのか藤原教授に尋ねたところ、国が自国の犠牲者のみ語りそれ以外はあまり語らないのは無理のないことかもしれない。教授自身も共通の教科書をつくろうと試みたこともあったが、やはり歴史の内容を双方が納得できるようにするのは難しく、断念したそうだ。教授はまずは国境を越えた犠牲者がいることを「知ること」が大切だとおっしゃった。

この講義を通して、私は平和を実現することがいかに難を極めるのかを知った。「戦争」をなくせば「平和」は訪れるとばかり思っていたが、実際、構造的暴力がなくならなければ人々が安心して生きられる世界は作れないことを知った。今まで自分がいかに安易に「平和」ということばを使ってきたかを身に染みて感じることができた。また、過去の過ちから学び同じ歴史を繰り返さないように、とよく言うがそもそもその歴史のとらえ方が国によって異なり、歴史の共有の難しさもあらためて知った。しかし、一つだけ確かなのは戦争で人が大勢死んだという事実。人種とか国籍とか関係なく尊い命が無差別に奪われたという事実をしっかりと受けとめ後世につたえていく義務は今の若い私たちだからこそできる事だと改めて思った。


【報告書2】

講義名      国際関係から見た核兵器と平和

研修講師名    東京大学 藤原教授

報告者      広島大学附属高等学校 清 若菜

藤原教授は今回、オンライン学習講座「広島から平和を考える」の第5回の収録もかねて、被爆経験を出発点として核廃絶と平和を考える地としての広島の役割について講義を行ってくださった。

講義は大きく3つのポイントに分かれていた。

1点目は、平和とは何かということ。戦争の不在としての平和である消極的平和と、構造的暴力のない、暮らしの安全面を含めた平和である積極的平和があることを紹介してくださった上で、重要なのはこの2種類の平和のうちどちらかを選択することではなく、これら両方の平和を実現するには何が必要なのか考えることであると教えて下さった。そこで、平和の対極にあるといえる戦争をどう考えるかについても言及された。藤原教授のお話から、戦争は時代を経るにつれて、人間の働きを越えた現象であるという認識から、政策の手段として正当化されたものへ、さらに2度の世界大戦を経て絶対悪として禁止されるべきものという認識へ変わっていったという経緯を持つということを学んだ。

2点目は、平和はどのようにして論じられてきたのかということである。きわめて現実的な捉え方としては、政策の手段として戦争を行う、というリアリズム的思想が存在する。国家に分かれて利益を追求する上で、戦争は起こってしまうものだとみなしたり、あるいは互いを脅して実現される、抑止による平和をよしとしたりする意見は多い。しかし、こうした政策の手段としての平和は、脅威と表裏一体であることや、もしこの考え方が核戦争に適応されれば、各国が得られる利益よりも核戦争になって受けるダメージの方がはるかに大きいというリスクを抱える。リアリズムに対しリベラリズムに基づく意見としては、政治的自由の拡大、経済面で交易の拡大、国際的法制度の充実が鍵を握るのではないかという主張があることを知った。このように様々であった戦争あるいは平和の捉え方は、世界戦争を経て平和主義という1つの方向に定まった。戦争が莫大な犠牲を生んだことによって、政策としての戦争は合理性を失ったからである。日本でも、平和憲法の需要や第二次世界大戦をきっかけに、広島を拠点に平和主義が受容されるようになった。

そこで3点目は、広島から平和を実現すること。藤原教授はまず、誰の視点から平和を求めるのかということを論じられた。犠牲者といってもひとくちに日本国民だけでなく外国人の犠牲者や戦争を行った軍の犠牲者に目を向け、戦争を語る際には戦争を行う人と犠牲になる人を選択したり区別したりするのではなく、それらの視点を共有することが大切だとおっしゃった。次に、平和をどのように実現するのかということついて、核なき世界の構築が不可欠であり、そのためには核抑止の役割と限界を知ること、国際機関や日本の役割について考えること、国際社会や市民社会がその役割を果たしていくことが大切であるとされた。そして、ここ広島の取り組みとその意義について、被爆体験を伝えることや平和を担う次世代を育成すること、核に頼らない平和の条件を探ること、核廃絶と平和を考える中心になることで、世界を過去から未来へ導くことだということを教えていただいた。

この講義を通じて、私は現在の核と平和を取り巻く状況について、歴史的経緯を含めてより詳しく、様々な観点から学ぶことができた。そして、現状を批判的・客観的に分析し、その上で誰がどのように変化を生み出すことができるかについて考えることが大切であると改めて感じた。また、藤原教授のおっしゃった「自分に都合のよい視点で戦争を語るのは偏っている」という言葉が強く印象に残っており、幅広い人々の立場に立った柔軟な思考がとても重要なのだと気づかされました。広島の意義や役割についてもより具体的に認識することができ、非常に学びの多い充実した講義でした。


グローバル未来塾inひろしまについては以下のURLからご覧ください。

https://hiroshimaforpeace.com/gmirai/

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