被爆建物・樹木を知る(比治山エリア)
広島市で最初の公園として開設された比治山公園は、桜の名所として市民から親しまれていました。爆心地から約2キロメートルの距離に位置し、原爆投下直後は燃え広がる炎を逃れて避難してきた多くの人が、園路や木陰にあふれました。
比治山橋(京橋川)
昭和14年 (1939年)9月に完成した、京橋川に架かる鉄筋コンクリート橋です。爆心地から1710メートルで被爆し、爆風で下流側の欄干の一部が川に落ちました。当時の傷跡を色濃く残し、補修・保全されながら現在も利用されています。
住所:広島市南区比治山本町
鶴見橋東詰「シダレヤナギ」
爆心地から1700メートルの距離にあった架け替え前の鶴見橋のたもとで被爆し、現在の場所に移植されました。被爆時に幹の上部を失ったため頭を下げたような形になっています。頭を下げたような形になっている幹は枯死しましたが、新しい幹が成長し、大きく枝を広げています。
住所:広島市南区比治山本町20
多聞院・鐘楼
戦時中は広島県庁の緊急避難先に指定されていました。爆心地から1750メートルの場所に位置し、被爆当日の夕方には壊滅した県庁に代わって県防空本部が置かれ、救援物資の受付や握り飯の配給手配などが行われました。鐘は金属供出で失われていましたが、昭和24年(1949年)に「平和の鐘」が造られ、破損したままの天井を保存した鐘楼に釣られました。
住所:広島市南区比治山町7-10
頼山陽文徳殿
(提供/広島市公文書館所蔵)
ソメイヨシノ
昭和9年(1934年)、広島にゆかりのある江戸末期の漢学者・頼山陽の没後100年祭を機に建設されました。戦局の悪化により、市役所から戸籍簿の大部分をここに疎開させていました。爆心地からは1820メートルの場所で、爆風で戸籍簿は散乱しましたが、焼失は免れました。屋根の上の九輪が変形したまま保存されています。また、玄関前には爆心方向に大きく傾いたソメイヨシノが生き続けています。
住所:広島市南区比治山町7-1
比治山公園内「クスノキ」
爆心地から約2キロメートルの場所にあり、爆心地側の幹の表面は木肌の模様が荒くなっています。
住所:広島市南区比治山公園
ルートマップ
被爆建物・樹木を知る
平和学習事業の紹介
被爆樹木を伝える取り組み
株式会社ジェイ・エム・エスが活動を支援している「緑の伝言プロジェクト」。これは広島市にある被爆樹木を守り、後世に残し、その存在を知ってもらうという取り組みです。
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