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国際平和拠点ひろしま

人々の心を支えた 広島大仏里帰りプロジェクト


 戦後間もない焼野原になった広島の街で、復興のシンボルとなった大仏が、原爆ドームからほど近い場所に安置されていたことをご存じでしょうか。『広島大仏』と呼ばれて親しまれ、たくさんの参拝客が訪れていました。それから60年以上の時を経て、この大仏の姿を広島の街で再び拝むことができるようにするプロジェクトが進行しています。

 

 「戦後間もない、多くのものを失った時代の人々にとって、まさに心の拠り所だったのでしょう。」そう話すのは、この『広島大仏の出開帳「里帰りプロジェクト」』の発起人の一人でもある、丸岡優介(まるおか・ゆうすけ)さん。広島大仏という存在を、丸岡さん自身も近年まで知らなかったといいます。

 この大仏は1201年、現在の山形県・福昌寺において、奈良時代を代表する仏師『快慶』の手によって建立されました。高さ一丈三寸(約310cm)、両膝の間八尺(約240cm)、顔の幅四尺(約120cm)、金箔を施したとても立派な姿だったという記録が残っています。そこから紆余曲折を経て、原爆で焼野原になった広島市へやってきました。

 本通りお練りの様子

 
 昭和25年(1950年)に広島市中区舟入の唯信寺に安置された大仏は、このころから『広島大仏』と呼ばれ、街の人々から親しまれていたようです。翌年の8月4日、原爆ドームにほど近い、広島市中区大手町の西蓮寺に建てられた大仏殿へと移送されました。

 「このとき舟入から十日市、八丁堀や金座街、本通りを経てのパレード(本通りお練り)が行われました。ホラ貝隊を先頭に、花で飾られた牛に車を引かせ、きれいに着飾ったたくさんの人たちを引き連れての行列だったようです。」と、当時の写真を見ながら丸岡さんが続けます。「これをきっかけに、毎年8月6日には盛大な供養と夏祭りが行われました。戦後間もない本当に何もない時代に、これだけの人が集まって大仏さまを敬うということは、それだけ大仏さまが心の拠り所であり、街の復興に向けた希望であり、楽しみだったのでしょう。当時の人たちのエネルギーにも圧倒されます。」

 しかし、たくさんの人に親しまれていた広島大仏は、1960年ごろから所在が不明になってしまい、その存在も次第に人々の心から忘れ去られてしまいました。

奈良県安堵町の極楽寺に安置される大仏


 そこから約半世紀を経た2011年、広島大仏が奈良県安堵町にある極楽寺に安置されていることが判明したのです。

 「極楽寺の住職である田中全義さんも『広島に関係がある大仏さん』とだけ、聞き継がれていたようです。住職や専門家さんのご協力があって、これが広島大仏だと判ったのです」広島大仏の存在が判明した後、極楽寺では毎年8月6日に「広島大仏平和祈念式典」が行われ、また安堵町内の小学生たちの平和学習にも活用されています。

極楽寺での平和祈念式典の様子



 広島でも奈良でも、人々に親しまれ敬い続けられている広島大仏。丸岡さんらが尽力する今回の里帰りプロジェクトは、クラウドファンディングで資金を募り、目標額の1200万円を達成しました。2022年7月1日に極楽寺から大仏を迎え入れ、8月31日まで広島市中区大手町のおりづるタワーに安置。途中、8月6日には「広島大仏里帰り法要(仮)」を行い、9月10日には当時のお練りを彷彿とさせる、盛大なパレードを本通り周辺で行う計画です。

「広島の人と人の繋がりの濃さ、それがあったからこそ、あの大変な戦後の時代を乗り越えることができたんだと思います。人と人がふれあうことが難しい現在、心の繋がりをもって広島から世界に、メッセージを送ることができればと考えています。」

広島大仏

http://hiroshimadaibutsu.com/

極楽寺

https://gokurakuji.org/

おりづるタワー

https://www.orizurutower.jp/

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