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国際平和拠点ひろしま

アメリカ原子力の残虐性

2020年は広島・長崎に原子爆弾が投下され75年目となります。

「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。

本県が進めている国際平和拠点ひろしま構想の趣旨と合致しない論調も含まれますが,原子爆弾投下を海外でどのように伝えたか知っていただくため 「広島県史 原爆資料編」に掲載されている新聞論調をそのまま掲載しています。

アメリカ原子力の残虐性

昭和20.8.29 クリスチャン・センチュリー紙

[米国議会図書館蔵]

日本の2つの都市に原爆が投下されたとき,何か道徳的地震のようなものが起こった。その後世界に伝わったその余震は,軍事的勝利そのものからさえ人々の注意を引き離した。アメリカにおけるその影響は,982~84頁〔4-29参照〕に,投書の形でのせてある。これらの手紙などは,ヒロシマ,ナガサキの壊滅が報道されるや,クリスチャン・センチュリー紙につぎつぎと寄せられてきたものである。これらの手紙は,一つとして本紙が,原爆使用のもつ道徳的かかわりあいについて論評したために,本紙に送られてきたものではなかった。すべて投書した人たち自らの意見を述べたものであった。これらの投書は,恐怖と激変,罪と恥の意識,この信じ難い非人間的な道具を性急に採用したことが,この国で歓迎されるだろうと慎重に予測したことなどを強調している。原爆の使用によって,わが国が,道徳的に弁護の余地のない立場におかれたことは疑いない。
現実には,ある面では原爆を使用する必要性があったであろうが,今ここでわれわれは,軍事的必要性の問題について論ずるつもりはない。原子爆弾は,日本海軍が沈没し,空軍は実質的に壊滅し,本土は包囲され,補給路は遮断され,最後のとどめをさす時点で使用されたのである。日本の差し迫った敗北は,日本の発表するコミュニケの行動に読み取れるものであった。またわれわれは,チャーチル氏の原爆の使用によって,100万人の米兵と25万人の英兵の生命が救われたというきわめて高度な推論にあえて挑むつもりはない。しかし,もっと名誉ある,より人間的な別の方法をわれわれの政府がとっても,これらの生命を救うことができたであろうとわれわれは信ずるのである。わが国の指導者は,これにまつわる道徳的配慮を天秤にかけることをしなかったようである。原爆が完成するや否や,前線に急送されて,2つの無力な都市の上に落とされた。そして米国が全大戦中に失った数よりも多くの生命を奪ったのである。
多分日本を降伏に踏みきらすために,原爆はいずれ使用されねばならなかったのかも知れない。(これはしかし,この2,3日のうちに発表されている驚くべき報告によってくつがえされた。すなわち,マッカーサー元帥がこの1月,ルーズベルト大統領に伝えた報告内容によれば,大統領は,結局最終的に受容された平和条件と,実質的には全く同じところの平和条件をその当時は概略拒絶したということである。)しかし,警告なしに日本に原爆を投下しても,軍事的には利益はなかったのである。われわれは,敵に向ってわれわれが原爆を所有していることを通告し,その破壊力はいまだかつて軍事上使用されたことのない強力なものであること,またその恐るべき影響はすでにこの国では実験ずみであることを少なくとも知らせてやることができたはずである。かくして,日本がただちに降伏しないかぎり,なにが次に待っているかを警告することができたはずである。もしこちらの善意そのものを疑うようであれば,敵国のどこか人命の損失を最小限にとどめることのできる場所を,デモンストレーション(示威)の目標として選ぶことは,簡単にできることであった。
もし,そのような警告にもかかわらず,日本がまだ肯んじない場合,その時初めて,広島,長崎に爆弾を落としたとしたら,われわれがこのたびほど問題となるような立場に追い込まれることはなかったであろう。少なくともわれわれの配慮と,充分な警告の記録だけでも明らかとなろう。そのかわりに,残忍にも,人間性を無視して,われわれは,2つの都市において,「示威のための実験」をし,両市を完全に抹殺してしまった。このことにより,アメリカは世界中から白眼視される立場になってしまった。第一次大戦で,毒ガスがドイツの評判を落としたと同じように,第二次大戦では,原爆が,アメリカの評判を落としてしまった。われわれの将来の安全が,自らの行為で脅やかされることになった。そして,国際情勢における正義と人間性に及ぼすわが国の影響力は悲しくもそこなわれてしまった。
このことについて,日本自身がどのように反応しているかまだ聞いていない。そこでは,一つの心理的情勢が急速に醸成されつつあるが,そのためにわが占領軍の平和工作を——それはかぎりなくデリケートであり,そして相手しだいであるが——さらに困難なものに,また疑わしいものにすることだろう。
日本の指導者たちは,アメリカ軍の占領が始まる前のこの期間に,ラジオを自由に使える最後のときを利用して,日本人の心に,将来持ち続けてほしい一つの考え方を植えつけるべく努力している。彼らは繰返し次のようにいっている。日本は敵国のように身を堕すことなく道徳的には勝利をえた。敗戦は残念ながら免れえなかったが,これとて再起不能をかならずしも意味しない。アメリカは非良心的な戦闘法を使わざるをえなかったため,道徳的には敗れたと。かれらは,原爆は,野蛮のきわみであり,それを使用したことでキリストの虚飾がいかに薄っぺらなものかを証明するものだ,といって弾劾している。かれらは,天皇の命によって日本は征服者に頭を下げねばならないが,これから全力を科学研究に傾けなければならぬと宣言している。それはいうまでもなく次の一事を意味する。すなわち,科学的破壊の方法を研究することである。ある要人などは,おおっぴらに国民に向って復讐の日の来るまで,訓練をすべきだとも論じている。

〔中略〕

広島・長崎の破壊はそのようなものであった。本紙に手紙を寄稿してくれた人々は,自分の政府がそのような勝手なことをしてしまったことに強いショックを受けている。彼らの抗議は,必ず国内のキリスト教徒の人たちによって取りあげられると信ずる。そしてこの抗議がしだいにひろがり,日本の岸にたどり着き,そしてその国の人々の心に達するだろう。

(小倉 馨訳)

出典 広島県史 原爆資料編

 

 

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