原子爆弾への抗議(投書)
2020年は広島・長崎に原子爆弾が投下され75年目となります。
「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。
本県が進めている国際平和拠点ひろしま構想の趣旨と合致しない論調も含まれますが,原子爆弾投下を海外でどのように伝えたか知っていただくため 「広島県史 原爆資料編」に掲載されている新聞論調をそのまま掲載しています。
原子爆弾への抗議(投書)
昭和20.8.13 サン・フランシスコ・クロニクル紙
[カリフォルニア州・ベイ・マイクロフィルム社蔵]
〔1〕
ここ2日間日本に対する原爆使用のニュースが圧倒的に報道され,世界はこの報道に驚いていると信じます。われわれアメリカ人の一部にも,超大型飛行機を最大限に使用して日本の都市を焼き尽くす戦術に恐怖の念を禁じ得ない者も存在しております。アメリカはこのような戦術により戦争に勝利をおさめることは明らかですが,同時に世界の恐怖と憎悪をもかちとることになり,われわれの魂を失うことになるのではないかと信じます。非人道的兵器の使用により,敵の殲滅には成功しても,その代価として,われわれの子孫の安全を危険に陥れてしまいました。私は1人の牧師として,日本の婦女子の殺害には抗議せざるをえません。
トマス・W・グラブズ
牧師,チュール・レイク在住
〔2〕
今やわれわれには他人を戦争犯罪者と呼ぶ資格がなくなりました。われわれ自身が戦争犯罪者になったからです。われわれは,少くとも10万人の人間の殺戮を黙認したのです。われわれは抗議に立ちあがることをせず,共犯者となったのです。われわれはドイツ秘密警察長官ヒムラーの行為を黙認したドイツ人と同じではありませんか。彼らの口実は,ブッヘンバルト収容所の残虐行為は国家の利益のためであったというのですが,われわれの口実も同じではありませんか。
われわれの背負った罪は,悔悟の犠牲によってのみ償われるものですが,果たしてそれはわれわれに可能なことでしょうか。
ジョン・マーシャル・ベイコン
サン・フランシスコ在住
〔3〕
原子爆弾の使用に対して抗議を申し述べます。ドイツ人がわれわれに原爆を使用することを阻止するために,彼らに対して原爆が用いられたのであれば,仕方ないことだったかも知れませんが,事実はそうではありません。
第一次大戦以来有毒ガスを攻撃の手段として用いることは不可能になっております。たとえ,現在使用されている通常の兵器が毒ガスにまけない威力を持っていることを認めてもなお,世界の世論は毒ガスの使用を認めるものではありません。この世界の世論の力をいま最も切実に感じているのは,原爆の使用を発表したわが国の指導者でありましょう。私見によれば,わが国の指導者は,今回の発表によって,今後は原子力が人類の平和と幸福のためにのみ用いられると約束し,政治を科学の水準にまで高める絶好の,また切望された,機会を逸したのではないかと信じます。
その反対に,今回の発表は地獄の火のなかに敵を追い込むことでありました。私の恐れるのは,このようにして放たれた業火のなかに,いつの日かわれわれ自身がのみ込まれるのは不可避なことではないかという点です。来年のことではない,5年先のことではないが,遠い将来のいつかそうなるのではないでしょうか。
グエン・エバンズ・ジャキュア
デイビス在住
〔4〕
原子爆弾の解説のなかに「人間」という言葉が見当たらないのは不思議なことです。原爆により抹殺された人々は,軍の指導者ではありません。私は孤立主義者でも,平和主義者でもありませんが,私の心は無力な国民に対してかような武器を使用することに否を訴えます。
バーバラ・D・ラーセン
カーメル在住
(湯浅信之訳)
出典 広島県史 原爆資料編
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