当サイトを最適な状態で閲覧していただくにはブラウザのJavaScriptを有効にしてご利用下さい。
JavaScriptを無効のままご覧いただいた場合には一部機能がご利用頂けない場合や正しい情報を取得できない場合がございます。

国際平和拠点ひろしま

日本の講和の申出

2020年は広島・長崎に原子爆弾が投下され75年目となります。

「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。

本県が進めている国際平和拠点ひろしま構想の趣旨と合致しない論調も含まれますが,原子爆弾投下を海外でどのように伝えたか知っていただくため 「広島県史 原爆資料編」に掲載されている新聞論調をそのまま掲載しています。

日本の講和の申出

昭和20.8.11 サン・フランシスコ・クロニクル紙

[カリフォルニア州・ベイ・マイクロフィルム社蔵]

現在包囲されている日本に対する攻撃の情勢を見るとき,東京声明が真に戦争を放棄することを意味していることに疑いの余地はない。日本は絶対に降伏しないという原則からすれば,このことは正反対ではないかと考えられるだろう。しかし,この矛盾も,天皇が降伏の詔勅を発すれば,たちどころに解決されるのである。天皇の御命令があれば,国民は面子を失わなくてすむのである。

この戦争放棄の申し出に対し,一つの疑問がわいてくる。日本人は,ポツダム宣言の条件を受け入れるにあたり,条件をひとつだけ提案している。すなわち上記(ポツダム)宣言は,主権をもつ統治者としての天皇の大権が侵されるような要求は強制しないという条件である。よく注意してみると,ただちにわかることだが,いかなる条件でもつけることは,ポツダムの要求と相容れないことになる。つまりポツダム宣言は,あくまでその当時,無条件降伏を打ち出しているからである。

さらにその考えをすすめると,その条件を表現した日本側の言葉が,それ自体,ポツダムの最後通告にはっきり示された意味と,つじつまがあわなくなるのである。

その宣言は,連合軍の指定する日本本土の島々の連合軍による占領と,連合軍の管理下に日本政府を従属させる,ということを要求している。

したがって,「主権」をもった統治者として天皇の「大権」なるものは,そのような状況のなかでは成立しえない。「主権」というものは,世界共通に理解され,またウェブスター大辞典に定義づけられているところによると,「最高,最上」という意味であり,地位もしくは権力の最高をいい,独立にして不可侵,権威において絶対,という意味である。

もし,われわれの日本占領中,天皇を在位させると決めたとすれば,それは,天皇の大権は,右に示した定義のどれにも該当しなくなるであろう。そして連合軍が日本の主権を行使し,そのもとにおける天皇は,満州国の皇位を現在占めている者が日本政府のあやつり人形であると同様,彼も占領軍のあやつり人形となろう。

もちろん,日本の宣言の本意は,われわれにとって充分わかるということは決してないであろう。彼らの降伏するという申し出では,主権なる言葉を,純粋に専門的に使っていないのかも知れない。彼らは単に,天皇制を維持することだけを考え,われわれがそれを破棄することのないよう約束を取り付けたいと思っているのかも知れない。天皇を人形的存在にしておく考えは,必ずしも日本の思想には矛盾しないのである。先例は充分ある。天皇が250年も徳川将軍の人形として隠遁の生活に甘んじ,ようやく表に出てきたのが,わずか78年前のことである。それより前数世紀もの間,天皇は,いろいろ日本を支配してきた将軍と豪族の人形として扱われ,その人らの意思で御門は思うがままにされてきたものである。日本国民も,とくに天皇の諒承さええられれば,一時的に,その人形的存在にとどまってもらうことに耐えることができるはずである。

考えようでは,天皇制を連合軍の管理下でそのまま存続しても,占領の目的はかなえられることになる。天皇の言葉が命令となり,絶対服従の意味をもつのであれば,従順な天皇を存続することは,むしろ日本人統治の一助となるだろう。

とにかく,日本人の心から天皇というものを追い出すことは容易な業でないことがわかるかも知れない。そこには一種の宗教的な力が存在する。日本人は赤子のころから,天皇家の祖先は神であると教え込まれ,そう信じてきた。このことが日本の歴史を通じ今日まで天皇家が皇位につくことをさまたげなかったのである。この理論こそ西洋人が天皇崇拝として一般的に誤解してきたものなのである。

この考えを抹殺することは,母親の膝元で教え込まれた宗教的信仰をヨーロッパ人の心のなかから根絶することに等しい難事である。この問題をどのように処理してよいか,まだ明らかでない。

(小倉 馨訳)

出典 広島県史 原爆資料編

 

 

このページに関連する情報

この記事に関連付けられているタグ