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国際平和拠点ひろしま

原爆で平和をかち取ることはできない

「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。

本県が進めている国際平和拠点ひろしま構想の趣旨と合致しない論調も含まれますが,原子爆弾投下を海外でどのように伝えたか知っていただくため 「広島県史 原爆資料編」に掲載されている新聞論調をそのまま掲載しています。

原爆で平和をかち取ることはできない

昭和20.8.13 解放日報

[東洋文庫蔵]

クリスチャン・サイエンス・モニター紙いう
「原爆で平和をかち取ることはできない」——過大評価は間違っている〔注〕——

〔注 荒謬 でたらめ道理に合わぬ荒唐無稽根拠がない。〕

〔アメリカ新聞処ワシントン11日電〕クリスチャン・サイエンス・モニター紙は,次のようにいっている——「原子力をもって平和をかち取ることはできない」と——この記事の作者のいうところによれば,一切の危険のほかに,原子爆弾は,次のような一つの危険を持っているというのである。——すなわち,それは,人々を,それが永久の平和と安全のために一つの容易な道を提供するという考えに誘い,その結果,真の国際協力という荊棘の道のための様々な努力を弛緩させてしまう。アメリカ,イギリス等の国々における原子爆弾に対する過大な評価は,根拠のないものであり,有害でさえある。その理由は,われわれとイギリスとは,一時,原子爆弾を独占しているが,われわれは,それを長く保持することはできないであろうと思われるからである。物質科学の進展の足跡は,多くの国家のなかでほとんど同時に発展したという記録によって,特徴づけられている。主要な発明や発見で,挑戦をうけなかったものはほとんど一つとしてないのである。

(伊藤虎丸訳)

参考資料

昭和20.8.9 クリスチャン・サイエンス・モニター紙
[ミシガン州・ユニバーシティ・マイクロフィルム社蔵]

 原子力をもって平和を押しつけることはできない

ジョセフ・ハーシュ

  ワシントンにて

原子爆弾には,他の事柄とは異なる,ある一つの危険が内在しているように思われる。——その危険とは,原子力があれば永遠の平和と安全が容易に確保できるであろうと思いがちになること,そしてその結果,真の国際協力をうるためのいばらの道を歩む努力を惜しむようになることである。
もしそのような傾向が,米国と英国にあると考えることは,誤りであるばかりでなく,戦後,この地球上において,平和が真に日常茶飯のこととなる日が来るものと,すべての普通の人が希望を托している矢先,事態はまさに絶望的となってしまうことだろう。これには,2つの基本的な理由がある。
第1の理由は,当面,米国と英国は原爆を独占しているが,その独占が,そう長く続きそうにないということ。物質科学の進歩の跡を辿ってみると,その特色として多くの国々で,ほとんど同時にある進歩・発展が行なわれていることがあげられる。何か発明されてもすぐさまそれに挑戦を受けないような重要発明は,一つとしてない。
ほとんどの大国には,多くの機械的分野でその栄誉を請求できるような人々がいるものだ。技術的なものの考え方というものは,どうも数国において,同じ速度でもって進歩してゆくのが事実のようである。したがって,どこの国であろうと,原子力を戦争の道具に応用するといった,新しい開発のごときものは,ある長期間独占できるなどと当てにはしていない。いいかえれば,われわれも英国も,相当期間,原爆をひとりじめできると当てにすることはできないのである。今日われわれの持っているものを,明日は,他国が持つようになろう。
第2の理由は,たとえ今述べたように事態がならないとしても,英米だけが,いずれかがこの兵器を使用しようとすれば,それはまさに世界平和を求める健全な機構にとり,同じく命取りとなるであろう。
世界の他の国の人たちに次のように言うことはやさしいのである。「そうです,われわれはどの時代にもなかった最高の兵器を持っています。警官の棍棒のように使います。みなさんはわれわれのいうとおりになさい。われわれの目的は最善のものです。ほしいのは平和なんです。しかしその平和を推し進めるのは,われわれ2か国なのです。」 
しかし,これでは,2つの英語国民による世界の独裁支配となってしまう。世界の民主化とはならない。われわれの動機がいかに高貴であろうと,またその兵器をいかに非利己的に使おうと,それは世界の他の国に,恐怖や,疑惑の念を与え,また憤慨させることだろう。そして他の国の人々の心の中に,われわれの権力と,われわれの警察機能を否定しようとする決意を育てることになろう。これはまさしく,ドイツ人が,この戦争を始めた時,自分たちだけが,空軍の新兵器を独占していると考え,それでもって事を運ぼうとしたことと同じである。彼らは,世界にドイツ流の平和を推進するつもりであった。彼らの考える公平にして正しい平和な世界をつくるつもりであったのだ。 
この戦争が闘われたのは,基本的には,他の諸国が「ドイツ流の平和」は,自分らにとり公平な平和であり,満足できる平和であると,みんなが賛成できなかったからである。いうまでもなく,われわれの考える平和は,ドイツのいう平和よりは,世界を満足するものではある。もっと公平で,よりよい平和であることは疑いない。しかしこれとて,やはり押し付けの平和である。 
もしそのような平和を押しつけたい気持ちになったとしても,かならず世界の他の国が,わが方の独裁制に対して,精神的反乱を起こすに違いない。たとえば,ロシアの国民は4分の1世紀にわたって資本主義世界を疑いの目で見るよう訓練されている以上,かれらの考え方は容易に想像できる。
世界中の秘密の場所で,われわれの力を無力化するためのもっと強力な兵器の開発競争が展開されるであろう。また自然の傾向として,すべての小国は,より大なる国の周囲に群がることだろう。その大国がロシア,中国もしくはフランス,あるいはいつか将来,復活した姿のドイツとも考えられる。そしてその国々が英米による世界の掌握を打ち破る方法を見つけているかも知れない。遅かれ早かれ,報復をもたらす運命にある独裁と支配のわれわれの努力が,今度はわれわれ自身をその被害者にするだろう。 
非常に簡単そうに聞こえるかも知れないが,国連の機能を働かせようとすることは,非常にむずかしいであろう。しかし,困難な道を歩む美徳を捨てて,安易な道への誘惑に負けるとしたならば,それこそ,われわれが最も避けたいもの——つまり新しい,より残酷な戦争を企図する新しい国々の結集を,招来することとなるのである。

(小倉 馨訳)

出典 広島県史 原爆資料編

 

 

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