当サイトを最適な状態で閲覧していただくにはブラウザのJavaScriptを有効にしてご利用下さい。
JavaScriptを無効のままご覧いただいた場合には一部機能がご利用頂けない場合や正しい情報を取得できない場合がございます。

国際平和拠点ひろしま

コラム5 被爆100 年を目指して

渡部 朋子

緑が失われると平和は壊れ、緑が甦るとき再び平和は訪れる。広島に生きる被爆樹木160 本の存在は、広島市民にさえ、あまり知られていない。被爆樹木は、その声なき声で原爆の惨禍を語り、なかでも移植されずに生き残った一本立ちの樹木は、その身体で爆心地を指し示すように傾き、忘れてはならないあの日、あの時を、私たち人間に伝えている。一方で、被爆から75 年を経た広島の街は、水と緑の美しい街として復興し、さらに発展すべく変貌を遂げている。その過程で、被爆樹木の存在は小さく埋没していき、被爆建物も年々失われていっている。
被爆から100 年経った2045 年、広島はどんな街になっているだろう。街にはそこに生きる人々の精神が宿るように思う。被爆樹木と同様に原爆の惨禍を生き延びた多くの被爆者たちは、苦難に耐えて子を産み育て、街を復興させ、「同じ苦しみをもう二度と他の誰にも経験させてはならぬ」と、歯をくいしばって核兵器廃絶を訴えてきた。その結果、広島は、平和と公正を希求する世界中の人々にとって、巡礼地とも言うべき特別な場所になった。私は心から願う。なんとしてもこの街に生きた人々の精神を引き継ぎ、2021 年に発効して国際法となった核兵器禁止条約をてこに、世界中の志を同じくする人々と共に「核なき世界」を目指して力強く歩み続ける街であってほしい、と。
2045 年までに、核兵器保有国も含めた世界の大多数の国々が核兵器禁止条約を批准し(もちろん日本も含めて)、多くの人々の間に「核兵器は必要ない」「核の抑止力に頼る安全保障政策は支持しない」という世論を打ち立てることはできないか。そのために広島ができることは何だろうか。
何よりもまず第一に、核兵器の非人道性を繰り返し訴え、被爆の実相を国内外に伝え、そして世代を越えて伝える努力を重ねていかなければならない。被爆の「記憶」を継承するためには、「記録」あるいは「被爆の一次資料の保全」が不可欠である。そのため被爆地・広島は、もうこれ以上、被爆建物を壊してはならない。人類にとってかけがえのない遺産として、守り続ける強い政治的意志が必要なのだ。同様に「被爆の一次資料保全」に関しては、平和記念資料館のみならず、大学、公文書館、広島大学原爆放射線医科学研究所(広大原医研)、放射線影響研究所(放影研)などが連携して、後世に遺す広島の大切なプロジェクトとして進めていかなければ、貴重な一次資料が散逸し、そのうちに失われてしまうだろう。被爆者の人々の生き様や、生活実感を伴った暮らしぶりを伝える文学館、博物館もあればと願う。
第二に、今日、世界各地に存在するヒバクシャと連携をとることが必要だと考える。広島・長崎のみならず、ウラン採掘・精錬、核実験、原発事故など、グローバルヒバクシャの時代を私たちは生きている。「核なき世界」を目指すために、世界各地のヒバクシャと連帯して、定期的に世界核被害者フォーラムを開催し、核被害の実態を広く世界に発信していく必要があると思う。そのために、広島にグローバルヒバクシャの情報センターが欲しい。
そして最後に、核なき世界への険しい道のりを歩み続けるためには、常に、その時代を生きている多様な人々の力が必要だ。膠着した世界の状況を変える力を持ち、被爆樹木の声を聴くことのできる平和の担い手を育てることこそ、実は最も急がれることなのかもしれない。
被爆100 年、2045 年の「広島のデルタに青葉したたれ」(原民喜『永遠(とわ)のみどり』)。緑は命の象徴だ。緑を大切にする街は、命を大切にする街、それはすなわち平和を育む街だろう。被爆樹木を含む豊かな緑が息づく中で、平和文化を守り、育み、広島の街の礎にしようではないか。

わたなべ・ともこ:NPO 法人ANT-Hiroshima理事長

< 前のページに戻る次のページに進む >

 

目次に戻る