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国際平和拠点ひろしま

「この世界の片隅に」ロケ地巡り

※上記画像は映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』になります

© 2019こうの史代・双葉社 /「この世界の片隅に」製作委員会

 

【はじめに】

映画『この世界の片隅に』(2016年11月公開)『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019年12月公開) は、昭和初期に広島市で生まれ育った浦野すずが、当時日本海軍の一大拠点だった軍港の街・広島県・呉市に暮らす海軍勤務の文官・北條周作のもとに嫁ぎ新しい家族と呉の街に少しずつ溶け込んでいく様子を描いた長編アニメーション作品。戦争が進むにつれて配給物資が減っていく中、工夫を凝らして食卓を賑わせたり衣服を作り直したりして新しい家族の中で 生きようとするすずを中心に、当時の暮らしを丁寧に描いている。徹底した時代考証で原作の世界にさらなるリアリティーを加え、戦時下(1944年、昭和19年ころ)、の暮らしを活写。戦況の悪化によって、それまでのささやかな幸せが奪われていくことにこそ戦争の恐ろしさがあるのだということを、従来の戦争映画とは一線を画した柔らかいタッチのアニメーションで穏やかに伝えてくれる。ありふれた日常生活のかけがえのなさ、それを理不尽に奪っていく戦争の残酷さ、そして平和の尊さを、この映画を通して再認識したい。

  

【広島市】

●相生橋

1938年(昭和13年)の相生橋。当時からT字が特徴的だ
(提供)広島市公文書館所蔵

 

現在の相生橋。T字は現在も変わらない

 

初めてすずと周作が出会った場所

© 2019こうの史代・双葉社 /「この世界の片隅に」製作委員会

 

元安川と本川(旧太田川)の分岐点に架かる橋。かつての電車専用橋を1932年(昭和7年)に架け替え、1934年(昭和9年)には橋の中央部分から現在の平和記念公園北端部へと橋桁を伸ばして、全国でも珍しいT字型になった。原爆投下の目標にされたともいわれ、あまりにすさまじい衝撃波のため橋桁は変形。北側の欄干は川に落ち、歩道の一部が持ち上がるほどだった。戦後、復旧工事を行って使われてきたが、老朽化のため1983年(昭和58年)に新しく架け替えられて現在の形に。平和記念公園や原爆ドームなど、周辺環境との調和を図るべく、欄干や親柱には御影石を採用。橋詰めには被爆の痕跡を今に伝える親柱が保存され、爆風で変形した橋桁の一部は平和記念資料館に常設展示されている。

   

 (DATA)

住所:広島市中区基町

 

●旧広島県産業奨励館(原爆ドーム)

(提供)広島市公文書館所蔵

相生橋のたもとに立つ産業奨励館。当時、最新のデザインと設計で広島の象徴的な建物だったに違いない

 

現在の原爆ドーム(旧広島県産業推奨館)。特徴的な丸い屋根が当時の姿を偲ばせる

 

すずが川沿いでスケッチした建物

© 2019こうの史代・双葉社 /「この世界の片隅に」製作委員会

 

1915年(大正4年)に広島県内の物産品を展示・販売する施設として建てられた。設立当初の名称は「広島県物産陳列館」だったが、その後「広島県立商品陳列所」、1933年(昭和8年)には「広島県産業奨励館」に改称。チェコの建築家であるヤン・レッツェル氏が設計し、一部鉄骨を使用したレンガ造りの構造で、外装は石材とモルタルで施工。3階建ての建物の正面中央部分には5階建ての階段室があり、上に銅板の楕円形ドームがのせられたヨーロッパ風の建築物は、多くの建物が木造2階建てだった当時の広島市街地において異彩を放つものだった。原爆はここから南東約160mの上空約600mで炸裂。爆風がほぼ垂直に働いたことで奇跡的に倒壊を免れ、1996年(平成8年)には世界文化遺産に登録された。

   

(DATA)

所在地:広島市中区大手町1-10

 

●大正屋呉服店(現・平和記念公園レストハウス)

原爆投下時は爆心地から約170メートルで被爆。地下室を除いて全焼したが、戦後に補修された(提供:清水建設)

 

現在改修が進んでいる。観光案内所や売店、展示スペースが設けられる予定

 

道に迷ったすずがショーウインドウ前でひと休み

© 2019こうの史代・双葉社 /「この世界の片隅に」製作委員会

 

大阪に本店をもつ大正屋呉服店が1929年(昭和4年)に対岸の細工町から新築移転。地下1階、地上3階建てで当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りのモダンな建物として、多くの客でにぎわった。1階はショーウインドウのある売り場、2・3階も店舗となっており、履物を履いたまま上がれるのも当時としては斬新だった。1943年(昭和18年)の繊維統制令によって呉服店は閉鎖。その後、建物を広島県燃料配給統制組合が取得して「燃料会館」と呼ばれるようになったが、爆心地から170mの至近距離で被爆。屋根が押しつぶされ、地下室を除いて全焼したものの、基本的形態はとどめた。1982年(昭和57年)からは平和記念公園レストハウスとして整備され、公園の憩いの場に。現在は改修工事を行っている(2020年7月にオープン予定)。

  

(DATA)

問い合わせ:082-247-6738(広島市観光案内所(平和記念公園レストハウス))

住所:広島市中区中島町1−1

 

【呉市】

●三ツ蔵(澤原邸三ツ蔵)※正式には「旧澤原家住宅」

昭和30年代の三ツ蔵。戦火をくぐり抜けその姿を残す(提供:呉市)

 

現在は国の重要文化財に指定され保存されている。住宅街の中にあるので見学の際は配慮を

 

北條家から呉の街に出るときに横切る3棟の蔵

© 2019こうの史代・双葉社 /「この世界の片隅に」製作委員会

代々庄屋などの要職を務め、屋号を澤田屋と称した商家・澤原家が、1809年(文化6年)に建てた土蔵造の蔵。宅地が街道を挟んで東と西に構えられ、東側に主屋や表門など、西側に三ツ蔵と新蔵がある。主に米を収納していたと考えられる三ツ蔵は、2階建ての上蔵、中蔵、下蔵が南北に並ぶ三棟並列型が特徴的。呉の市内中心部から離れていたため、奇跡的に空襲の被害を免れた。当時と変わらない姿で現存する呉では希少な建物で、主屋や前座敷などとともに「旧澤原家住宅」として国の重要文化財に指定。中国地方を代表する大規模商家の一つとされている。

    

(DATA)

問い合わせ:0823-25-3462(呉市文化振興課文化グループ)

所在地:呉市長ノ木町2-9

  

●呉鎮守府(現海上自衛隊呉地方総監部第1庁舎)
※正式な表記は「海上自衛隊呉地方総監部庁舎 旧呉鎮守府庁舎」

大正時代の呉鎮守府(出典:広島県写真帖 大正15年)(提供:呉市)

 

地下1階、地上2階建てのレンガ石造の呉を代表するレンガ建築

 

軍法会議録事を務める周作の勤務先

© 2019こうの史代・双葉社 /「この世界の片隅に」製作委員会

呉鎮守府は日本の近代化を推進するため、国内4つの軍港(横須賀、呉、佐世保、舞鶴)に置かれた海軍の本拠地の一つ。現在の建物は、初代庁舎が芸予地震で被害を受けたため、1907年(明治40年)に地上2階、地下1階建ての2代目庁舎として建てられたもので、赤レンガと御影石が調和した重厚な佇まいが目を引く。海辺の高台に建つ優美なレンガ石造の建物は、外壁のレンガの積み方がイギリス積みで、2階には桜を彫刻した石柱があるなど凝ったデザインも特徴的。陸側と海側の両方に顔を向けた設計は海軍ならではといえる。空襲で焼け落ちた中央のドーム屋根は1999年(平成11年)に復元され、呉のシンボル的存在に。現在は海上自衛隊の施設として現在も使用されているが、毎週日曜日には一般公開される(5月29日現在一般公開中止。公開時は呉地方隊HPから事前申請が必要)。

        

(DATA)

問い合わせ:0823-22-5511(海上自衛隊呉地方総監部広報係)

住所:呉市幸町8-1

HP:https://www.mod.go,jp

   

●めがね橋と青山クラブ(旧呉海軍下士官兵集会所)

当時としてはとてもモダンなデザインの丸い横連窓が特徴(提供:広島県立文書館)

 

現在の「めがね橋交差点」のすぐ側にある。横連窓が当時から変わっていない

 

すずが周作に忘れ物を届けにいく

© 2019こうの史代・双葉社 /「この世界の片隅に」製作委員会

呉鎮守府をはじめとする帝国海軍の軍事中枢地区と一般市民の生活圏の交差点だったのがめがね橋。現在は地下に埋められていて見えないが、JR呉線の高架橋をくぐる交差点にその名が残っている。その近くにある旧呉海軍下士官兵集会所、通称「青山クラブ」は1903年(明治36年)に建設され、アール仕上げの入口部分が目を引くコンクリート造の建物。旧海軍艦艇の乗員の滞在用に建てられたもので、旧海軍の下士官や水兵たちの集会や宿泊施設として使われた。戦後は海上自衛隊が利用していたが、現在、建物は使用されておらず、外壁には作品に登場する人物が描かれたパネルが展示されている。

    

(DATA)

問い合わせ:0823-23-7845(くれ観光情報プラザ)

所在地:呉市幸町

  

【平和学習事業の紹介】

オンラインで学ぶ平和講座「広島から平和を考える」

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「平和への思い」を巡る(広島市)

広島市にある平和関連施設に興味がある方はこちら。 施設の被爆前の姿や復興への道のりなど平和学習できる ストーリーも紹介しています。

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