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国際平和拠点ひろしま

「悲劇を二度と繰り返してはならないと、伝え続けていくことが大切」

広島東洋カープ 新井貴浩監督


広島の戦後復興のシンボルとして市民とともにあった広島東洋カープ。

広島出身で今シーズンから指揮を執る新井貴浩(あらい・たかひろ)監督に、平和への願いや8月6日に開催される「ピースナイター」に向けての思いを語ってもらいました。

私自身、広島に生まれ育ったので小学校から平和学習がありました。低学年のころは、8月6日になると空から何かが降ってくるのではないか、と怖かった記憶がありますね。

毎年8月6日は登校日でしたし、平和公園や平和記念資料館に行ったり、語り部として活動されていた被爆者の方たちのお話を聞いたりと、数え切れないぐらい平和について学んできました。また、直接原爆の体験を聞くことはほとんどありませんでしたが、私の祖母も被爆者でしたので、平和を願う気持ちは幼いころから身に沁みついていると思います。


カープは原爆によって焼け野原になった広島の復興とともにありました。戦後の広島の方たちの希望がカープであり、復興のシンボルでもあったのだと思います。そして、カープもまた、そういった市民の皆さんに支えられてきました。

マツダスタジアム屋内練習場前に設置されている「カープ誕生物語像」。広島の復興の歴史と被爆から5年後に球団が誕生した当時の喜びが表現されている

旧広島市民球場は原爆ドームの前にありましたが、私にとって原爆ドームも旧球場も幼いころからとても身近な存在でした。小学3年生までは平和公園の近くに住んでいたので、カープの応援には父親と走って球場に行っていましたし、入団してからも球場に通う中でいつも原爆ドームを目にしていました。

それに、原爆ドームを見ると私自身がとても影響を受けたマンガ『はだしのゲン』を思い起こします。ここでゲンが遊んでいたんだな、とか想像していましたね。小さいころはセリフや描写が怖かったのですが、幼いながらに「広島で生まれ育った者として、昔あったことを見ておかなければいけない、目を背けてはいけない」という気持ちがあった気がします。

怖くても読んでいくうちに、どのような境遇でもまっすぐ前を向いて頑張っていくゲンの姿に惹かれていきました。ゲンの生き方、特に「踏まれても、踏まれても、麦のように」という言葉が好きで、これは広島の復興の姿、カープの姿とも重なります。何度も立ち上がる「ゲン」「広島の街・人」「カープ」のたくましい姿が、小さなころから私の中に落とし込まれているように思います。

かつて原爆ドームの向かいにあった旧広島市民球場

また、5月に開催されたG7広島サミットでは、チームは遠征に出ていましたが、世界の首脳たちが平和公園や平和記念資料館を訪問して慰霊碑に献花される場面を見て、すごいことだと感じましたし、戦争の悲惨さ、平和を願う心を世界に向けて発信できている広島を誇らしく思いました。


今年も8月6日に、平和を願う「ピースナイター」を行います。8月6日に広島で試合をすることについては、現役のころから「平和に野球ができる幸せ」をかみしめ、「平和だからこそスポーツができること」に感謝しながらプレーしていました。広島出身の選手は小さなころから平和教育を受けているので、8月6日が特別な日だということはわかっていますが、ピースナイターは県外出身の選手にとっても広島で何が起こったのか、どれほど悲惨なことがあったのかというのを知る機会になっています。

入団したばかりの選手は初めて8月6日を広島で過ごすのであまりわからないかもしれませんが、すでに経験している選手は回数を重ねるほど、街の雰囲気や報道などに触れる機会が増えているので、広島にとって8月6日がどれほど大切な日なのかをわかっていると思います。今年も、平和を願いながら、当たり前のように平和の中で野球ができることに感謝してプレーする日になると思います。

2015年のピースナイターで黙とうをささげる選手たち。背番号は全員「86」

私が子どものころは、実際に被爆した方が語り部として活動されていて、被爆体験を直接聞く機会がありました。今はそういった機会も少なくなっていると思います。時間とともに原爆の記憶が薄まっていくなかで、カープはピースナイターを通して平和を発信しています。また、同じようにいろんな方々が世界に向けて平和を訴えています。この広島でどれだけ悲惨なことがあったのか、どれだけ大変な思いをした方たちがいたのか、そして「このような悲劇を二度と繰り返してはならない」というメッセージを広島から発信し続けること、後世に伝えていくことが大切だと思います。

新井貴浩

1977年、広島県広島市中区出身。1998年にドラフト6位でカープに入団。2005年に43本塁打を放ち、本塁打王に輝く。2015年に8年ぶりにカープに復帰すると、2016年にはチームの柱となり25年ぶりのリーグ優勝を果たしてMVPを獲得。球団初のリーグ3連覇にも大きく貢献した後、2018年に現役を引退。2023年シーズンからカープの監督に就任。

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