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国際平和拠点ひろしま

老舗と戦争 あなごめしうえの

平和都市・広島で戦前から営業をしてきた老舗がどのように戦中戦後を乗り越えてきたのか、その歩みを紹介します。今回は明治34年創業、「あなごめしうえの」の四代目である上野純一さんに、お話を伺いました。

出征する兵士の特別なお弁当として

 明治34年(1901年)に、宮嶋駅(現在の宮島口駅)の近くで、創業者の上野他人吉が味付けをしたご飯に、穴子をびっしりと乗せたお弁当を販売したのが「あなごめし」の始まりです。元々宮島では、穴子がたくさん獲れていたので、穴子どんぶりとして地元の人に食べられていたのです。
 他人吉翁(上野氏)は、明治の中頃、宮島で米商をしていました。そんな中、宮嶋駅が開通した後に、宮島口の駅前参道に茶店を開業。石炭で動く蒸気船航路の運用も活発になり、駅を利用する人も急激に増えました。そこで、上野氏は運送窓口手配業や蒸気船に石炭を積み込む事業も請け負い、さらに、茶店で販売していた穴子のどんぶりを、駅弁当の新商品として「あなごめし」を開発して販売。それ以降、駅弁として多くの人に親しまれていきます。
 また、海軍がある江田島と、宮島、宮島口が桟橋を結ぶ海上ルートにもなっていたことから、日露戦争(1904~1905年)以降には、嚴島神社が戦争へ旅立つ前におしゃもじに武運長久を記して、奉納祈願する社としての役割も担っていました。

箱に弁当箱を詰めて車両外から販売していた(写真は大正の頃)

 第二次世界大戦が始まると、穴子漁師たちが次々に出征していくのと同時に、米の入手も困難になり、穴子のお弁当は一度、途絶えてしまいました。それでも駅弁の需要はありますから、パンと牛乳を売っていた時代もあったと聞いています。うえのがある宮島口の付近は、幸いにも空襲は全くなかったのですが、原爆が落とされた日には風圧で自宅の窓が割れ、この場所からもきのこ雲が見えたそうです。終戦後には漁師たちが戦地から戻ってきて、再びあなご弁当が販売できるようになっていきます。

弁当レッテルが映し出す時代背景

 駅弁として始まり、鉄道とともに歩んできたのですが、昭和30年代に大きな転機がありました。それは、観光や修学旅行のバスが宮島口に何十台も訪れるようになり、「バス弁」が主流になってきたのです。当時、バスにお弁当を積み込む姿をN H Kに取材していただきました。その様子が放送された翌年には、他のお店でも穴子飯を販売するようになり、広島の名物として有名になっていきます。
 そんな時、蔵から昔のレッテルが見つかりました。うえのが元祖であることの証明にもなり、「あなごめし」がメジャーになっていく中でも、唯一の存在になることができたわけです。

明治の末から大正時代の初めまで使われた最初のレッテル
 山陽鉄道が国鉄として統合され、あらゆる駅弁のレッテルが東京神田の印刷所で刷られた大正時代では、関東地方の会社の広告が入っていたり、米騒動の時には値段が急激に上がったり、関東大震災の折には印刷されなかったことなど、当時の世相を反映しています。第二次世界大戦下では、「国民精神総動員」という文字が入れられており、人々の生活に戦争が入り込んでいるのがわかります。

戦時中に「国民精神総動員」と書かれたレッテル

レッテルは12種類。当時のレトロなデザインや宣伝文は、まさに当時の世相を反映している

続けられるのは平和だからこそ

現在の「あなごめしうえの」の弁当
 一度途絶えた「あなごめし」でしたが、時代の移り変わりを経ながら、穴子の品質や製法は変えずに続けています。現在の「あなごめしうえの」という表記や経営スタイルとなったのは、日本経済がバブルで浮かれていた時期です。その頃、私たちは、その「バブルの恩恵」とは無関係な位置にいて、今となっては、それが良かったのかもしれません。創業者の上野他人吉が作ったものがオリジナルであり、一番の味だと信じて頑張っています。一貫して、良い材料が入らないと売らない、売り過ぎないという方針でやってきたことが、今に繋がっていると思います。

四代目の上野純一さん
 今年、五代目がコロナ禍において「あなごのちらし寿司」の通販を始めました。うえのの「あなごめし」は広島でしか食べられませんが、うえのの「味」は、全国で食べられるようになりました。今後のことは五代目に任せていきますが、長きにわたり、事業が続けられる世の中であることは、平和だからこそだと思います。観光地である宮島が海の守り神から、戦の守り神となった時代があったことや包ケ浦が軍事拠点だったということも知っていただき、包ケ浦が平和を考える学習拠点になればという思いもあります。
 これからも多くの方が宮島を訪れると思いますが、「あなごめしうえの」で食事をされたり、お弁当を購入した際は、ひとときでも平和について考えていただけるきっかけを持ち帰っていただきたいです。

■会社紹介
あなごめしうえの
https://www.anagomeshi.com

明治34年創業。駅売弁当として「あなごめし」の販売を始め、人気に。1980年代に上野食堂から「あなごめしうえの」に名称変更。広島の名物となった「あなごめし」の元祖として、宮島観光に欠かせないお食事処となっている。
住所:廿日市市宮島口1丁目5−11 
営業時間:10:00~19:00(水曜は18:00)、お弁当は9:00~ 
交通アクセス:JR宮島口駅から徒歩 1分

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