高校生の手による原爆の絵 広島市立基町高等学校美術部
被爆者の方が証言活動を行う際に言葉では伝わらない場面や状況を、絵によって伝える 「次世代と描く 原爆の絵」プロジェクト。2004 年(平成 16 年)から広島平和記念資料館 が主催しています。広島市立基町高等学校普通科創造表現コースの生徒たちは 2007 年 (平成 19 年)からこのプロジェクトに参加し、その活動は上級生から下級生へと代々受け継がれています。
制作は 毎年 10 月ごろに証言者の方々と生徒全員が集まって顔合わせ会を行い、被爆当 時の様子を聞きながら描くべき場面の確認と方向性を決定。その後は個別の話し合いで、 絵の構図や色など細かく確認しながら進め、約9カ月かけて1枚の絵を描き上げます。例年は8月と 12 月に原爆の絵を披露する場があり、ギャラリートークで生徒自ら絵に込め た想いを発表してきました。
実際にこの活動に取り組んでいる 4 名の生徒さんと顧問の奥田悠歩(おくだ・ゆほ)先生にお話を伺いました。
2年生の岡田友梨(おかだ・ゆり)さんは広島県府中町の出身。広島市ほど平和教育を受ける機会がなく、原爆や戦争について知らないことが多かったそうです。 「1年目の時の打ち合わせでは、分からない単語がたくさんありましたし、証言者の方の 言葉に納得できずにぶつかったこともありました。でも絵を完成させたときに、とても大きなことに関わらせてもらったと感じました。この活動を通して、平和に関してたくさんのことを教わり、今までの何も知らなかった自分を恥ずかしくも思いました。もっと平和について知ろうというきっかけになりました。」
今年度は 15 歳で被爆した切明千枝子(きりあけ・ちえこ)さんの2枚の絵を制作中。「1枚は切明さんが学校で片付けをしていると後輩の女の子が大ヤケドを負って、帰ってきたところ。もう一枚は負傷者の収容所となった陸軍被服支廠で怪我人が運び込まれた り、広場で遺体が焼かれたりしていた場面です。この場所はまだ残されているので、実際に見学に行きスケッチを取りました。見て感じた大きさを絵に生かせたらと思っています。」
『暗闇の中の真っ赤な太陽』 (被爆体験証言者:荒井覺 作:岡田友梨 所蔵:広島平 和記念資料館)
「建物疎開で出た廃材を運んでいた時に被爆した荒井さんは、気を失って目を覚ました時に暗闇の中に真っ赤な太陽が見えたそうです。色もチューブからそのまま出したような赤だったとおっしゃっていました。埃が舞って、ほとんど何も見えないけど、うっすらと歩いている人の流れが見えたそうです」(岡田さん)
2年生の武原明歩(たけはら・あきほ)さんは 2020 年、八幡照子(やはた・てるこ) さんの証言から『みんなで死のう、みんな一緒よ!!』というタイトルの絵を制作しました。原爆が投下された後、もう一度爆弾が落とされるかもしれないと思ったお母さんが、 大きな布団を出してきて、家族の上に広げる様子です。 「八幡さんは『一緒に死のう』と言った時のお母さんの表情が忘れられないと、一番に話されていました。恐怖の中、家族を必死に集めたお母さんの気持ちを想像して描きました。完成した絵を見た八幡さんは端に、描かれた足を見て『あ、お父さんだ!』と感激してくださり、お母さんだけでなく色々な記憶が蘇ったと言って下さいました。自分の描いた絵が証言活動に繋がったと思うと嬉しかったです。」
今年度は大阪府在住の森容子(もり・ようこ)さんの証言により、母親から竹藪に逃げるように言われた姉妹が死体や瓦礫の中を進む様子を描いています。同級生にモデルを依 頼して、逃げるように歩く二人を再現してもらいスケッチしました。「自分の得意なことであり、好きなことでもある”絵を描くこと”で、被爆者の方の想いを形にできるということが嬉しかったです。これからも続けて、次の世代に伝えていきたいと心から思いました。」
『みんなで死のう、みんな一緒よ!!』 (被爆体験証言者:八幡照子 作:武原明歩 所蔵:広島平和記念資料館)
「『最期を覚悟したお母さんの表情が印象的だった』と見た人から感想をいただきました。そのような悲しい表情を生む戦争は、二度と起こってはいけないと思います」(武原 さん)
美術部の部長でもある2年生の川﨑あすか(かわさき・あすか)さんは 2020 年 、被爆者の中でも高齢の國分良徳(くにわけ・よしのり)さんと一緒に制作しました。國分さん が「最後の務め」という気持ちで、この活動に参加されておられたことが印象に残っていると言います。 「原爆の絵の活動に限らず、被爆者の方から直接お話が聞ける機会が年々貴重になってき ているのを感じます。この絵は被爆体験伝承者の方の活動にも使われると聞きました。私たちの絵が平和活動のお手伝いができていると思うと嬉しいですし、できるだけ続けていきたいと思います。國分さんの証言から作成した『4人が座り酒を飲んでいた石段』は8月8日の夕方に酒蔵にあったお酒を飲んだ2人が、翌日までに亡くなったというお話によ るものです。原爆が一瞬にしてたくさんの命を奪ったのは知られているけど、あまり知られていない放射能による命の奪われ方もあったということが伝わればと思いながら描きま した。」
今年度は仙台在住の木村緋紗子(きむら・ひさこ)さんの証言により、被爆して幽霊のようになった祖父を仏間で看病する様子の絵を描いています。(上の写真)
『4人が座り酒を飲んでいた石段』 (被爆体験証言者:國分良徳 作:川﨑あすか 所 蔵:広島平和記念資料館)
「原爆で家族を亡くした二人がお酒を飲んで良い気分になっていて、國分さんのお父さん と國分さんは飲まない方がいいんじゃないか、と心配している様子です。一見すると、原 爆とは関係のない絵のようですが、解説を読んでストーリーを想像していただければと思 います」(川﨑さん)
『目もくらむ光』 (被爆体験証言者:小倉桂子 作:原田真日瑠 所蔵:広島平和記念 資料館)
「小倉さんのお父さんが前日8月5日に空襲警報が何度も鳴ったのに何も起こらなかった ことから、嫌な予感がすると、小倉さんに学校を休ませたそうです。閃光を表現するの に、ペインティングナイフで何色も色を重ねました」(原田さん)
今年卒業する3年生の原田真日瑠(はらだ・まひる)さんは、この活動を行ったことで平和について考えが大きく変わり、将来は美術教師を目指しているそうです。
「8月6日のことだけではなく、世界で起こっている戦争も気になるようになりました。教育系の大学に進学するので、平和と美術教育の関わりを研究する予定です。被爆者でなくても原爆の悲惨さを伝えられる“伝承者”の方の活動も知ったので、いずれはやってみたいと思っています。平和に向けての発信をこれからも続けていきたいです」
1 年生の時には小倉桂子(おぐら・けいこ)さんの証言により『目もくらむ光』を制作。学校を休んだ小倉さんが外て、学校がある方向を眺めていた時、原子爆弾が落ちて光った瞬間を描いた絵です。目を突き刺すような光を表現するところにこだわったそうで す。
「小倉さんは海外でも証言活動をされている方で、最初に「あなたの絵は海を渡るのよ。」とおっしゃって下さいました。描いているときは実感が湧かなかったのですが、 今、多くの人に見ていただいているのだと感じています。」
左から武原明歩さん(2年)、岡田友梨さん(2年)、奥田悠歩先生、川﨑あすかさん (2年)、原田真日瑠さん(3年)
顧問の奥田先生は長期間にわたり制作と向き合う生徒たちが、完成まで筆を進められる よう、色や構図などに悩んでいる時にはできるだけ具体的にアドバイスをするそうです。 「生徒たちは証言者さんの手となって伝えるのが役割です。例え絵の中で辻褄が合わな いとしても、心に残っている光景なら、それを忠実に再現することが大切だとアドバイス しています。証言者さんとのやりとりは社交性を身につける勉強にもなっているようで、 それまで口数が少なかった子が、人が変わったように話し始めることもありますね。そう やって一緒に作ってきた絵が完成すると、証言者さんはとても喜んでくださいます。絵の力も生徒たちの力もすごいなと改めて感じさせられます。」
これまでにこのプロジェクトから 152 点の原爆の絵が生まれ、今年も制作が進んでいます。なかには広島平和記念資料館からの依頼の他にも、宮城県や大阪府在住の被爆者の方 からの依頼も含まれ、各地で平和活動に使用される予定です。
生徒たち全員が「描いて良かった。」と口を揃えるように、平和への意識が高まり、社会に貢献していることの誇りが感じられました。心を込めて描いた絵は貴重な資料となり、原爆の悲惨さを未来まで伝えていきます。
広島市立基町高等学校普通科創造表現コース美術部
表現活動を通して個性を磨き、芸術文化を創造・発信。生徒の作品を間近で見ることがで きる展示活動なども積極的に行っている。校内ではギャラリーに、生徒の作品を常設展示 している。
原爆の絵は広島平和記念資料館 HP から見ることができます。
http://hpmmuseum.jp/modules/info/index.php?action=PageView&page_id=184
平和学習
核兵器禁止条約発効記念行事「核なき世界へスタート!」
2021 年1月 22 日に核兵器禁止条約が発効したことを記念して開催されたイベントでは, 広島市立基町高等学校の美術部の活動の他,広島で核兵器廃絶に向けて活動する若者によ る意見交換が行われました。
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