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国際平和拠点ひろしま

ピースマッチ(サンフレッチェ広島) ~One Ball. One World. スポーツができる平和に感謝~1/2

サッカーJ1サンフレッチェ広島は,被爆地で活動するクラブチームとして,2018年シーズンから8月6日直近のホームゲームをピースマッチとして位置付け,サッカーを通じて核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を発信してきました。今年(2020年)は8月9日,広島市安佐南区のエディオンスタジアム広島での湘南ベルマーレ戦を「ピースマッチ」として開催しました。今年はコロナ禍の影響で入場制限の中での開催となりましたが,集まった2886人の観衆と選手とが一体となって平和への思いを一つにしました。

城福浩サンフレッチェ広島監督は,「サッカーができる喜びをかみしめて,ピッチで表現したい。」「今日という特別な日にピースマッチが開催できることを重く受け止めて戦いたいと思います。」と意気込みを語っていました。

ピースマッチとは,唯一の被爆国として,サッカーができる喜び,サッカーができる平穏な日々に感謝し,サッカーを通して平和を発信し,被爆という歴史的事実を認識することで,スポーツができる平和な未来に向けた想いを新たにするきっかけにすることに他なりません。

広島で生まれ育った川辺駿選手は,試合当日のマッチデープログラムにおいて,「広島にとってピースマッチは重要な試合です。」「ピースマッチは,クラブにとっても広島にとっても日本にとっても大事なこと。平和であるからこそ,スポーツができる。その喜びを感じながらプレーしたい。」と語っています。

また,12年間にわたり,サンフレッチェ広島に在籍した佐藤寿人選手は,8月6日に,ご自身のSNSから平和への願いを込めて,「広島で生活するようになってから,平和について考える機会が増えた気がします。子供達も広島で生まれ,育ち,平和について考える機会が自然とある環境だったと思います。今は広島を離れていますが,これからの未来を作るのも今をどう生きるか」と投稿され,広島の街並みの写真を公開されています。

広島のサッカーは,被爆から,年が明けた1946(昭和21)年,被爆を乗り越え,各地で再起し,そんな復興のさなかにあった1947(昭和22)年,第26回全国中等学校蹴球大会で広島高師付中が圧倒的な強さで復活大会を制し,更に同年,高校蹴球大会で広島高校も全国制覇を成し遂げました。

1948(昭和23)年には,広島高校が高校蹴球大会で再び優勝を果たし,第3回福岡国体の高校の部では広島高師付高が優勝。さらに,正月の全国高校選手権で広島一中から名称を変えた鯉城高校が制覇し,広島の学生陣が3タイトルを独占した。被爆からわずか3年と復興期にあった広島からその名を全国に轟かせました。これらの優勝は,戦中から並々ならぬ苦労をし,被爆をも経験した広島の人々に夢と希望をもたらし,広島のサッカーが復興への大きな力となったのです。

1947(昭和22)年に広島高師付中,広島高校が全国制覇を成し遂げたことを皮切りに,広島学生サッカーが黄金時代を迎えます。静岡,埼玉と並んで広島は「サッカー御三家」と呼ばれ,1961(昭和36)年頃までに数々のタイトルを獲得。全国中等学校蹴球大会,全国高校選手権,国民体育大会と各大会で常に上位に進出し,熱戦を繰り広げ,明治時代から続く広島サッカーの源流は途絶えることなく先輩から後輩たちへと繋がれ,この黄金時代がもたらされました。「サッカーのできる喜び,被爆からの立ち直りにサッカーが大きな勇気を与えた先人がたくさんおられます。サッカー王国ひろしまは深い歴史を背負っています」(サンフレッチェ広島 仙田信吾社長)

ピースマッチでは,サンフレッチェ広島の選手たちは原爆投下の8月6日を示す「86」の背番号のユニホームで登場し,試合前セレモニーで佐々木翔選手は,「広島サッカーは復興に貢献してきた歴史がある。先人たちの思いを胸に,これからも平和の大切さを発信する」と宣言しました。

(c)2020 S.FC
「86」の背番号のユニフォームを着て入場するサンフレッチェ広島の選手たち
(c)2020 S.FC
試合前セレモニーで平和の宣誓を行うサンフレッチェ広島の佐々木翔選手

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