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国際平和拠点ひろしま

Pope's visit to Hiroshima (The comment by participants)ローマ教皇を迎えての「平和のための集い」参加者の感想 vol.2

11月24日(日)に行われたローマ教皇フランシスコ台下を迎えての「平和のための集い」には,2019年ひろしまジュニア国際フォーラムやグローバル未来塾inひろしま第4期生の受講者にも参加いただきました。高校生から「平和のための集い」に参加したコメント・感想をいただきましたので紹介します。

先日、フランシスコ教皇が広島を訪問された。スピーチで最も印象にに残った”原子力の戦争目的の使用は犯罪であり、倫理に反する”という強いメッセージに、今の為政者や未来を担う私達若者が今後どうしていくべきなのかを改めて問われたように感じた。


 2019年11月24日、ローマ教皇が38年ぶりに広島を訪問されました。 それに際する式典に参加することができたという経験は、私にとって心に刻むべきも のとなりました。広島で育ち、そして今年は特にグローバル未来塾inひろしまという プログラムに参加し、平和について広く学び深く考える機会の多い私でしたが、今回のローマ教皇の訪問は、その自分の中に培い描いてきた平和へのビジョンが全て体現 されていたような、そんな時間でした。 式典では、2名の被爆者の方々の証言が行われました。私は、核兵器の悲劇を実際に 体験された方の口から語られる、何よりも強い願いと説得力を持つ言葉が、13億人を 束ねると言われるローマ教皇に直に届く瞬間が、とてつもなく大きな意味を持つよう に感じました。特に梶本淑子さんの、「広島の資料館に来て、被爆者の声を聞いて、 それでも核は必要ですか?」という言葉が強く印象に残りました。それは、私が様々な平和教育を受ける中で常に感じてきたことだったからです。広島や長崎で何が起 こったかを本当に知ったならば、核兵器が必要だなんてひとくちに言えるはずがないという信念が、梶本さんの言葉を通じて世界中の少しでも多くの人に伝わっていれば いいなと思いました。 そしてローマ教皇のスピーチです。私はあのスピーチを生で聞くことができて本当に良かったなと思います。15分ほどのスピーチの言葉に一つ一つに、ローマ教皇が広島の被爆や現在の核兵器をめぐる世界の状況について並々ならぬ知識を持たれているこ と、そして平和に対する揺るがない信念を持たれていることが表れていて、それが私の胸を打ちました。被爆して亡くなった人をはじめとする核兵器の廃絶を強く望む人々、そして平和を願う世界中の人々の声が代弁されているような、「平和の本質」 を突くスピーチだったと思います。 具体的には、まず広島について、被爆の「記憶」を有する場所であり、その「記憶」 が各国のリーダーたちや将来を担う世代、すべての人々に対してあの悲惨な過去を 「2度と繰り返すな」と伝え、越えてはいけない一線を自覚させる起爆剤となるのだ、とおっしゃっていました。いかにして核兵器の廃絶や平和を実現するのかを考え るとき、複雑な各国の思惑や実情が絡み合い、どうしても理論的に考えたり議論した りすることが多くなります。しかしその際もう一度原点に立ち返って、核兵器の存在が何をもたらすのかを、理論的ではなく感情的に訴えることで私たちが行動を起こす 原動力を与えることが、ここ広島や長崎の役割なのだと改めて感じました。また、武器を持ちながら平和を語ることは不可能でありそのような平和は偽りであること、そ して戦争のために原子力を用いることは他でもない犯罪なのだ、ということをはっきり断言されたことは、多くの人の心からの思いを代弁し、世界にぶつけることに等し いと感じました。それをローマ教皇という影響力の計り知れない方が行ってくださっ たことを嬉しく思いました。 そして、ローマ教皇は、思い出し、ともに歩み、守ること、の3つに平和の道を切り 開く力がある、とおっしゃいました。また、行動を起こさなければ平和は単なる「発 せられることば」に過ぎなくなる、と述べられていました。私はこの2つの言葉に、 今年の夏に参加した、ひろしまジュニア国際フォーラムのことを思い浮かべていまし た。フォーラムでは、32の国から集まった88名の若者が、核兵器廃絶と平和構築につ いて、経験や意見を共有し、議論を重ね、全員で1つの宣言を作り上げました。私は、これがある種ローマ教皇のおっしゃったことではないかと思いました。国や年齢、性別に関わらず「ともに歩む」ことを実現した経験だったからです。そしてそれ が可能である、ということを実感したからです。私たちが行っていることにも重大な 意味があるのだということを、ローマ教皇の言葉に認められたような気がしました。 それと同時に、未来を変え、平和を実現するのは私たちなのだ、と背筋の伸びる気持 ちがしました。 このように、1時間ほどの式典でしたが、様々なことを学び、考え、心を動かされる 機会となりました。私を含み、平和を願う大勢の人の声を代弁したローマ教皇の言葉をより多くの人が聞いてくれるよう、世界中に広げていきたいなと思いました。そし てそのメッセージを忘れず、教皇がおっしゃったように、共通な未来の平和のために 責任を持って闘う偉大な人になりたいと強く思いました。 


教皇様のお話を聞き、平和な世界を築くために必要なことを考えるだけでなく、私たち一人一人が何か行動を起こさなければならないと思いました。そして、私達若者がこれからの社会を担っていく、未来のリーダーだということを自覚しなければならないと改めて感じました。


言葉では表せない何かに圧倒された。被爆者と言葉を交わしたり、握手していらしたときに何か感動を覚えた。また、自分でも信じられないくらい式典に集中していた。式典は1時間くらいだったそうだが30分ほどに感じたほどだ。また教皇のスピーチはとても感動的で、僕の言ってほしいことをすべて代弁していただいたような気持ちになった。教皇はアルゼンチンという第二次世界大戦に日米など、主に参戦した国ではない国の出身でいらっしゃるのに核兵器や戦争に対する意見をしっかり持っていらしたので正直驚いた。それと同時に嬉しかった。ローマ教皇の言葉は世界中が注目している。教皇が非核化の意見をおっしゃったのが世界各国首脳に対する核兵器に対する見方を変えるきっかけとなることを期待している。


ローマ教皇の来日という貴重な機会に、平和の集いに参加できたことはとても光栄でした。教皇のメッセージは「核なき世界の実現」でした。私たち若者も平和な世界の実現に向け、ここ広島から継続的に働きかけていかなければならないと思いました。


被爆者の方々や、お亡くなりになった犠牲者の方々への強さに敬意を表すという発言 や、 貧しくて人々へ自分の声が届かない人の声になりたいという発言から、 ローマ教皇が弱者や重荷を負った方々の味方になって寄り添う姿が想像できた。 ローマ教皇のお話の根底にはやはり、「隣人を大切にする」というキリスト教の精神 が根付いているのだと感じた。


私はローマ教皇の「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。 」「真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。」という言葉が印象に残っています。ローマ教皇のお話を聞き、絶対に核兵器があってはいけないと改めて感じたので、世界を真の平和にするために自分にできることを始めるつもりです。このような式典に参加でき、本当に光栄です。ありがとうございました。


ローマ教皇がご訪問されると知った時、私は正直あまり期待していませんでした。いくら国のリーダーではないとはいえ、カトリックを国民の主な宗教とする国からの指示が多いであろう方のリーダーが踏み込んだメッセージを発するとは考えにくかったです。しかしローマ教皇のメッセージを聞いて改めて核兵器廃絶において宗教や国の壁は乗り越えられるものであると実感できました。日本や世界のリーダーに向けてのメッセージはもちろん、私たち市民に対して呼びかけられたように私も未来塾を通じて言葉だけではなく行動に移せる人間になりたいと強く感じました。


テレビで長崎で述べられたスピーチを聞いたはずだった。その時は、いいことを言っているなという感想しか持てなかった。だが実際に現地で言葉を聞いて、衝撃を受けた。ゆっくりと、ただゆっくりと話していただけなのに、言葉の厚みが違った。彼の言葉は私たち人間の根源的な場所に届き、抱えていたわだかまりなどが、スッと腑に落ちた気すらした。キリスト教を統べる求心力とはこういうことなのかと、肌で実感できた。この貴重で意義のある経験を、これからの平和活動にも生かしたい。


平和のための集いに参加させて頂き、教皇の「声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたい」というお言葉が、私の心に強く響いた。 また、平和について考えるだけでなく、行動に移さなければ意味が無いのだと改めて強く思った。


ローマ教皇訪問に立ち会って13億人のトップのオーラを肌で感じ、貴重な体験でした。被爆者の方々と教皇が抱擁されているところで、本当の宗教のあるべき姿を見ることができたと思いました。スピーチでは「原子力は犯罪だ」とおしゃっていたのが一番心に響きました。


私は,教皇のお言葉の中で,「私はへりくだり,声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。」が印象的だ。人々とは,貧困で苦しむ人も含まれると考える。声を発することのできる人たちが,どの様に耳を傾け,受け止め,口となることができるかが,世界を変えることができる一歩だと考える。


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