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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s Reconstruction Vol.11広島の復興シリーズ Vol.11:不法建築

1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。

広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。

Vol.11では,「不法建築」について紹介します。

不法建築

1945年(昭和20年)8月15日の終戦以降の広島で、8月末には広島駅広場に闇市が出現したという記録が残っている。人々が生き延びるために食料と日用必需品は買い求めなければならない。闇市の発生は必然的なメカニズムであったといえよう。

そして、広島の復興過程においては不法建築住宅群の出現が大きな問題となっていった。特に、現在の平和記念公園内、広島駅前猿猴川沿いの河岸、太田川本川沿いの3地区において不法建築住宅群が集中していた。

平和記念公園がある中島地区は被爆前までは人家や商家、娯楽施設が密集した繁華街であった。爆心地から500メートル圏内であり、被爆による被害も大きい地区であり、一家全滅や被爆孤児だけが残されるなど家族を崩壊させ、生活が奪われた。平和記念公園として広大な公園用地として指定され、区画整理によって新たな居住地や貸家業など生活基盤を存続できた地主ではない住民の中には、違法建築に住まわざるを得ない場合が生じることとなった。このような不法建築は復興過程を物語る証拠物件となっていった。

 

整備されつつある平和記念公園(1952) 広島市公文書館所蔵/ 広島市広報課撮影写真

参考

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-29/

 

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