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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s Reconstruction Vol.3広島の復興シリーズ Vol.3:原子爆弾による被害

1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。

広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。

Vol.3では,「原子爆弾による被害」と題して,原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島の街について紹介します。

原子爆弾による被害

原子爆弾の開発

米英による原子爆弾の開発は,ナチス・ドイツが原爆を保有する可能性を憂慮した科学者の訴えをきっかけに始まった。昭和19年(1944年)9月に行われた米英首脳会談では,原爆が完成した場合,慎重に考慮したうえで日本に使用することが合意された。昭和20年(1945年)7月16日には史上初の原爆実験(核実験)が行われ,7月25日にはトルーマン米国大統領が原爆投下の指令を承認した。

そして,8月2日に広島を第1目標として原爆投下を8月6日に行うことが決定した。8月6日広島に投下されたのはウラニウム型原子爆弾であり,8月9日に長崎に投下されたのはプルトニウム型原子爆弾であった。

原子爆弾による被害

昭和20年(1945年)8月6日に投下された原子爆弾は,約43秒間落下した後,高度約600メートルの上空で核爆発を起こした。周辺の地表面は3,000〜4,000℃に達し,爆心地では最大風速440メートル/秒の爆風が発生した。爆風は放射線状に広がり,10秒後に市街全域に到達した。

熱線は短時間であったが,爆心地から1キロメートルの地点の人は重度の火傷をおい,3キロメートル離れた場所でも衣服を着ていない部位に火傷を負っていた。建物も大きな被害を受け,爆心地2キロメートル以内の木造建築は全壊した。その後,熱線により大火災が発生し多くの人が亡くなった。

原爆による死亡者数

原爆による死亡者数は正確にはつかめていない。広島市では,昭和20年(1945年)末までの死亡者数を14万人±1万人と推計している。

また,「被爆者動態調査」による死亡者数は次のようになっている。

8月6日の死亡者は5万3,644人,昭和20年末までの死亡者は3万5,334人(計8万8,978人)となっている1)。


参考

1)広島市『原爆被爆者動態調査事業報告書』2013 年3月

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-15/

 

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