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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s Reconstruction Vol.5広島の復興シリーズ Vol.5:政府の戦災復興計画

1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。

広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。

Vol.5では,「政府の戦災復興計画」と題して,日本政府による復興計画と広島の状況について紹介します。

政府の戦災復興計画

政府による戦災復興計画

昭和20(1945)年8月15日に第二次世界大戦が終結した後,戦災復興が大きなテーマとなり復興計画は昭和20年11月に設立された戦災復興院が担当することとなった。

昭和20(1945)年12月30日には,「戦災地復興計画基本方針」が閣議決定され,国の戦災復興計画における基本的な方針が示された。

広島の状況

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島では,公共施設を含む多くの建物や都市インフラが破壊された。

広島市の市勢要覧復興第一年号昭和21年版(昭和22年3月31日発行)には次のよう建物被害について次のように記載されている。

昭和20年11月30日調べとされている広島県警察部発表では,全焼5万5,000戸,半焼2,290戸,全壊6,820戸,半壊3,750戸とされている。また昭和21年8月調べで爆心地よりの距離別の建物被害の内訳が示されている。全体としては被爆前の建物は7万6,317戸であり,半焼・半壊以上の建物の合計は7万147戸とされている。この数値は資料により異なるであろうが,目安として90%以上の被害であったことは疑いないであろう。

都市インフラの応急復旧は被爆直後から行われ,路面電車は被爆3日後に一部区間が再開し、国鉄山陽本線も被爆2日後に広島−横川間が開通した。その他にも幹線道路や水道の復旧も急がれた。

また,清掃事業,金属回収事業,住宅対策事業なども行われた。


参考

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-18/

 

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