広島平和記念公園のバラ
平和記念公園の原爆の子の像の隣にある、小さなバラ園の存在をご存じでしょうか。
そのバラ園の中に、世界的に著名な人物と深い繋がりを持つ品種が植えられているのです。そのうちの1つを、ここに紹介します。
首相が愛したドフトボルケ
1960年(昭和35年)3月、西ドイツ首相コンラート・アデナウアー氏が来日。当時のドイツは第二次世界大戦の結果、西ドイツと東ドイツの、二つの国に分断されていました。
1949年(昭和24年)に西ドイツ初代首相となって以来、アデナウアー氏は、日本と同じように第二次世界大戦で荒廃した西ドイツの復興に尽力してきました。彼は戦争を引き起こしたナチス政権に批判的で、戦時中は投獄された経験も持つ、反骨の人でした。
そのアデナウアー氏の随行員の中に、国会議員であり医師でもあるマックス・シュルツェ・フォールベルク博士がいました。アデナウアー氏に随行して日本各地を回る間に、フォールベルク博士は日本の桜の美しさに感動し、魅了されたといいます。
その博士が西ドイツへ桜の木の寄贈を日本政府に依頼したことがきっかけで、1968年(昭和43年)、日独親善と平和への祈りを込め、桜の苗木30本が広島市から西ドイツへと送られました。その苗木は同年4月、シュバインフルト市の郊外に植樹されました。シュバインフルト市は工業地帯であったため、第二次世界大戦中には連合軍による爆撃の目標とされた街でした。
広島からの桜が植樹された同年、今度はシュバインフルト市から返礼として広島市にバラの苗木が寄贈されることになりました。ともに戦争の被害を受け平和を願う広島市とシュバインフルト市が、桜とバラによって繋がったのです。
そのバラの品種は「ドフトボルケ」といい、あのアデナウアー氏がもっとも愛したバラでした。アデナウアー氏は広島から桜が贈られたその前年に亡くなっていました。シュバインフルト市から広島市に贈られたバラの苗木は全部で91本。それは、アデナウアー氏が亡くなった歳と同じ数の苗木でした。
アデナウアー氏が愛し、日独親善の架け橋となったバラ「ドフトボルケ」。現在は、平和記念公園内のバラ園に植えられ、毎年5~6月の開花時期には訪れた人たちの目を楽しませています。
広島平和記念公園
住所:広島市中区中島町1-1(バラ園は上記マップ内のピンの位置)
電話:082-504-2390
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