広島平和記念公園のバラ 3回目
「アンネ・フランク」この名前は、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。第二次世界大戦中のオランダで、戦争のために短い生涯を閉ざされてしまった一人の少女。平和記念公園には、彼女にまつわるバラがあることをご存じですか? 今回はアンネのバラについてのお話です。
少女アンネ・フランク
第二次世界大戦中、西ヨーロッパの大半はナチス・ドイツの占領下にありました。それらの地域ではナチスの掲げる反ユダヤ主義により、ホロコーストと呼ばれるユダヤ人絶滅政策が実施されていたのです。そんな中、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクの一家は、オランダの隠れ家で身をひそめて暮らしていました。
隠れ家での生活は2年に及び、その間アンネは日記を書き続けます。しかし1944年(昭和19年)、ついにナチスよって隠れ家を発見されたアンネは、姉と共に不衛生な強制収容所へと送られ、そこで病気にかかり15年の短い生涯を終えました。
戦後、生き残ったアンネの父オットーは、戦争と差別のない世界になってほしいという願いを込め、娘が書き残した日記の出版を決意します。「アンネの日記」は60以上の言語に翻訳され、2500万部を超える世界的ベストセラーになりました。
アンネのバラ
その悲劇の少女アンネ・フランクの名を冠したバラが存在するのをご存知ですか。そのバラは、広島の平和記念公園にも植えられています。
1955年(昭和30年)、ベルギーの育種家ヒッポリテ・デルフォルへ氏は、新しいバラの交配種を作出しました。アンネの父・オットー氏と知り合った彼は、自らが作出した交配種の中で最も美しいバラをアンネの形見として捧げることを申し出ます。そして1960年(昭和35年)、そのバラはスブニール・ドゥ・アンネ・フランク(アンネ・フランクの形見 )の名で品種登録されました。
アンネのバラは蕾の時は赤く、開花すると黄金色に、さらに日差しを浴びるとサーモンピンクを経て赤色へと変色する特徴があります。これは、生き延びていたらさまざまな未来があったであろうアンネ自身の可能性を表現しているといいます。
アンネのバラはオットー氏から日本の聖イエス会・大槻道子氏に平和への願いを込めて託され、1973年(昭和48年)に京都の聖イエス嵯峨野教会で増殖されました。その後、「平和を実現するため、アンネの名を冠したバラを多くの人に届けたい」と考えた大槻氏の親族の方から、1989年(平成元年)に広島市にも寄贈されたのです。
バラの花が好きだったアンネ・フランクの「形見」のバラは現在、平和記念公園では原爆の子の像の前にある花壇に植えられています。また、ホロコーストの悲劇を伝える福山市御幸町のホロコースト記念館のバラ園でも育てられ、平和への願いをこめて今も色づいています。
広島平和記念公園
住所:広島市中区中島町1-1(バラ園は上記マップ内のピンの位置)
電話番号:082-504-2390
ホロコースト記念館
住所:福山市御幸町中津原815
電話番号:084-955-8001
料金:入館無料
営業時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休日:日・月曜・祝日、8月13~16日、12月27日~1月5日
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