被爆建物・樹木を知る
原爆に耐え抜いた建物や樹木などを見ると、歴史的事実や被害の惨禍を知ることができます。
今回紹介する平和記念公園一帯は、被爆前は中島地区と呼ばれ、市内有数の繁華街としてにぎわっていましたが、爆心地から至近距離にあったこれらの地区は、原爆により壊滅状態となりました。
原爆ドーム(広島県産業奨励館)
特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていましたが、爆心地から南東約160メートルで被爆したため、建物は大破・全焼、館内にいたほとんどの人が亡くなりました。戦後、「原爆ドーム」と呼ばれるようになり、原爆による被爆の惨禍を伝える歴史の証人として、また核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いの象徴として、1996年(平成8年)12月、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
住所:広島市中区大手町1-10
平和記念公園レストハウス(燃料会館)
大正屋呉服店として建設され、鉄筋コンクリート造のモダンな呉服店は、当時、斬新な建物でした。被爆時には燃料会館として利用され、地下室をのぞいて全焼しましたが、建物としての原型はとどめていました。修繕後は、都市の復興の拠点として貢献。現在は平和記念公園レストハウスとして使用されており、2020年7月にリニューアルオープンしました。
住所:広島市中区中島町1-1
電話:082-247-6738
営業時間:8:30~19:00(8月1日~8月31日 ※5日は~20:00、6日は7:30~20:00)
8:30~18:00(3月1日~11月30日 ※8月は除く)
8:30~17:00(12月1日~翌年2月末日)
休:年中無休
平和記念公園内「アオギリ・インドハマユウ」
アオギリは、爆心地から1300メートル離れた旧広島逓信局の庭で被爆しました。その翌年には新芽が生え、人々を勇気づけたともいわれています。また、インドハマユウは爆心地から2200メートル離れた旧広島女子商業高校で被爆しました。被爆から1か月後、元日本陸軍の兵士が焼け焦げた球根から新しい葉が出ているのを発見し、神奈川県の鎌倉に持ち帰り育てていました。その株が、1969年(昭和44年)に現在の場所に移植されました。
住所:広島市中区中島町1(平和記念公園内)
本川小学校平和資料館・本川小学校内「アラカシ」
本川小学校平和資料館
アラカシ
鉄筋コンクリート造の校舎は、原爆によって外形だけを残して完全に焼失しました。被爆後は被災者の救護所として使用され、現在は校舎の一部が平和資料館として利用されています。また、校内にそびえたつアラカシは爆心地から2180メートル離れた広島市中区舟入で被爆した樹木で、平成24年(2012年)8月に本校に移植されました。
住所:広島市中区本川町1-5-39(本川小学校内)
電話:082-231-8020(平和資料館専用ダイヤル)、FAX:082-234-0910
開館時間:9:00〜17:00(入館受付16:40まで)
休: 12月28日~翌年1月4日
※資料館の見学希望の方は、事前に電話にてご予約ください。団体の場合は、本川小学校ホームページ上にある『見学依頼書』によるお申し込みが必要です。
本川小学校ホームページ
http://cms.edu.city.hiroshima.jp/weblog/index.php?id=e0899
より、見学依頼書をダウンロードし、必要事項をご記入の上、FAXにてお申し込みください。
<ルートマップ>
この記事の参考書籍
『ヒロシマの「もの言わぬ証人」たち 被爆建物・被爆樹木巡りガイドブック』
広島市 (2019年発刊)
価格:1000円(税込み)
平和学習事業の紹介
被爆樹木を伝える取り組み
株式会社ジェイ・エム・エスが活動を支援している「緑の伝言プロジェクト」。これは広島市にある被爆樹木を守り、後世に残し、その存在を知ってもらうという取り組みです。
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