平和への課題を自分事としてとらえ 共に生きていく方法を考えるきっかけに
原爆ドーム前、元安川の河川敷で記念写真におさまる、あやめ幼稚園の園児たち。戦争と被爆の証言集「平和をつくりだす―被爆・敗戦75周年を覚えて―」(B5判、97ページ)の表紙に掲載されている写真です。この冊子を発行したのは、日本キリスト教団広島牛田教会とあやめ幼稚園。「戦争と被爆の体験を継承し、平和のすばらしさをこれからの未来を担う子どもたちに伝えたい」と語る牧師・園長の西嶋佳弘さんに、制作の経緯と子どもたちに語り継ぎたいことを聞きました。
広島牛田教会は戦後間もない1948年、当時の広島女学院院長の松本卓夫牧師によって設立されました。その2年後の1950年、「平和をつくりだすために、平和の心を持つ子どもたちを育てる」という使命を担い、教会に併設するあやめ幼稚園が開設されました。当園は2020年に創立70周年を迎えたことから、これまでの平和教育にかかわる活動記録をまとめることにしました。
また、その年は被爆75年という節目の年。それまでも教会の機関誌「くすの木」などで教会員による被爆体験を発表してきましたが、被爆体験者が時ともに減少し、継承していく難しさを感じていました。平和への思いを次世代に伝えるためにも、これまで発表した手記を編集し、新たに5人を加えて計26人の被爆・戦争体験を一冊にまとめました。
この冊子では、戦争をいろいろな面からとらえることを大事にしています。原爆を落としたアメリカの牧師の手記、日本が侵略したフィリピンの牧師の手記も掲載しているのも、被害者だけでなく、加害者としての責任も認識しておくべきだと考えたためです。
あやめ幼稚園の園庭には、2階にある礼拝堂よりも高いクスノキがあります。樹齢約170年の被爆を経験した樹木です。園児たちは日常的に被爆地ヒロシマに触れています。そんな当園が意識的に平和教育に取り組み始めたのは1980年代のことです。
具体的には、平和をテーマにした絵本の読み聞かせ、被爆体験などを題材にした大型紙芝居の制作、原爆ドームや慰霊碑めぐり、七夕には被爆した人が逃げ込んだ「ピカドン竹やぶ」(広島市東区牛田)の笹をもらって飾り付けをしています。秋には被爆大イチョウのある安楽寺(広島市東区牛田)で前住職から被爆体験を聞き、拾ったイチョウの葉で作品を作ります。2004年からは、8月6日を登園日とし、保護者も参加する平和の集いを行っています。原爆は、幼児にとっては重過ぎるテーマではないかという考えもあります。ですが、子どもたちは子どもたちなりの感覚で何かを感じてくれているのではないかと思っています。
例えば、ピカドン竹やぶに笹を取りに行ったとき、子どもたちに「ここに逃げ込んできた人たちは、どんな気持ちだったと思う?」と問いかけます。すると、「やけどが痛かっただろうな」「おながすいてつらい」「お母さんがいなくてこわかった」といった声が上がります。子どもたちがこの竹やぶで、原爆にあった人たちの経験を追体験しているのです。戦争を自分の経験として心に刻むことができます。被爆や戦争を過去の出来事ではなく、現代にもつながっていると理解することで、平和への願いを次に伝えることができるのではないでしょうか。
当園での平和教育を通じて、子どもたちにはいろいろな立場の人の思いを理解し、違いを受け止め、答えが簡単に出なくても共に生きていく方法を考えることができる物の見方や考え方を身に着けてほしいと思っています。常に他者の痛みを感じとれる人間であってほしいという、願いと祈りでもあります。私たち大人ももちろん、同じ決意でいるべきです。
当園のある牛田は転勤族が多く、保護者の中には広島に初めて住む、原爆を知らないという方もたくさんいます。広島に滞在された期間に、子どもを通して、この冊子をきっかけに平和の課題に触れ、平和への理解を深めてほしいと願っています。
卒園式でのあいさつで、私たちは子どもたちの心に平和の種をまいている、という話をしました。「その種は、どんな栄養を与えると大きくなると思いますか」と子どもたちに聞くと、「優しい心!」という答えが返ってきました。子どもたちの心に、平和を願う核のようなものが育っているなと感じてうれしくなりました。
広島牛田教会、あやめ幼稚園は、これからも「平和をつくりだす」ために声をあげていきたいと思います。
西嶋佳弘 (にしじま·よしひろ)
1958年、山口県生まれ。関西学院大学神学部・大学院神学研究科修了。1998年から日本キリスト教団広島牛田教会牧師、あやめ幼稚園園長
日本キリスト教団広島牛田教会
住所:広島市東区牛田中2-7-34
電話:082-222-7727
HP https://ushi-kyo.com/
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