当サイトを最適な状態で閲覧していただくにはブラウザのJavaScriptを有効にしてご利用下さい。
JavaScriptを無効のままご覧いただいた場合には一部機能がご利用頂けない場合や正しい情報を取得できない場合がございます。

国際平和拠点ひろしま

因島に収容された元イギリス空軍兵捕虜の手記を翻訳 多方面から平和を考えるきっかけに

 インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ、広島県尾道市・因島の収容所で、3年近く捕虜として生活、強制労働をさせられたイギリス人のテレンス・ケリーさん。彼の手記を、元捕虜関係者と交流を続ける「尾道赤レンガの会」が日本語に翻訳し、『地獄船で広島へ』のタイトルで2021年に出版しました。ケリーさんに直接出版の交渉を行った小林晧志さんと、翻訳の一部を担当した溝淵尚子さんにお話を伺いながら、因島出身の岡野誠さんにゆかりの場所を案内していただきました。

左から岡野誠さん、溝淵尚子さん、小林晧志さん

 第二次世界大戦中、広島県内に2つの捕虜収容所があったことを知っていますか? 当時、炭鉱や鉱山、造船所など、全国各地に130カ所の収容所が設けられ、広島県内では因島と向島に開設されていました。因島にはイギリス人約200人、向島にはイギリス人とアメリカ人、及びカナダ人の計約210人が収容され、島の造船所で働かされていたそうです。

 テレンス・ケリーさんは、1942年3月にジャワ島で捕らえられたイギリス空軍兵捕虜の一人。捕虜運搬船「大日丸」で4週間かけて因島へ移送されましたが、衛生状態は極悪で、亡くなる捕虜が相次ぎ、その遺体は海に沈められるなど、地獄のような船内生活だったそうです。因島の収容所に到着すると、運搬工としてクレーンの線路修復や枕木運搬などの強制労働に従事し、1945年3月と7月の因島空襲では爆撃から逃げる経験も。ケリーさんは、終戦直後の1945年9月に解放され、母国へ帰ると実業家や作家として活動。2006年に、捕虜期間の出来事を生々しく記した『BY HELLSHIP TO HIROSHIMA』を出版しました。

ケリーさんと親交のあった小林さん

 『BY HELLSHIP TO HIROSHIMA』の日本語版を出そうと企画したのは、「尾道赤レンガの会」の小林晧志さん、南沢満雄さん、青木忠さん。「尾道赤レンガの会」とは、向島の捕虜収容所を記念するモニュメントを建設するために集まった市民団体です。2012年秋頃、因島空襲について調べている青木さんが「テレンス・ケリーの書いた本に、因島空襲の詳しいことが載っていそうだ。日本語に翻訳してみてはどうだろう」と提案したのがきっかけでした。以前からケリーさんと交流があった小林さんが橋渡し役となり、手紙で交渉。「1週間後にはケリーさんからOKの返事が届きました。『真実を広めてくれたらうれしい。わからないことは教えてやる』と喜んでくれました」と小林さんは振り返ります。
 2013年から始まった翻訳作業は、企画メンバーの南沢さん、青木さんに加え、溝淵尚子さん、若松英士さんの4人で分担。10章と13章を担当した溝淵さんは、「翻訳している時に感情移入してしまいました。日本人として申し訳ないことをしたと思います。ケリーさんの思いを表すには、どのように訳し、どの表現にするのがいいか、悩みながらの作業でしたね。何種類もの辞書を使い、知っている単語も1個ずつ地道に調べていきました」と話します。

10章と13章の翻訳を担当した溝淵さん
 
 1冊の本を4人で翻訳したため、単語の訳し方を統一するなど、作業には多大な時間を要しました。そして企画立案から8年半が過ぎた2021年7月、日本語版『地獄船で広島へ』が完成。「イギリス人捕虜から見た当時の日本の様子や、戦時中の日本人との関係が生々しく綴られていて、反省しないといけないことがたくさんあります。この本が、戦争や平和を考えるきっかけになればうれしいです」と溝淵さん。ケリーさんは2013年9月に亡くなったため、残念ながら本の完成を見せることはできませんでしたが、小林さんは「学校では戦争については教えても捕虜のことは教えません。良い悪いは別として、何が起きたかという真実は教えるべきです。負の遺産かもしれないが、日本軍がやった史実も知り、平和のために役立ててもらいたいですね」と力強く話します。

 現在、因島と向島の捕虜収容所は残っていませんが、捕虜にゆかりのある場所は島内のあちらこちらにあり、誰でも訪れることができます。案内してもらった中から、いくつかを紹介します。

①因島捕虜収容所跡(因島)
 現在は住宅地になり、建物の跡形は全く残っていませんが、捕虜一人が描いた当時の因島捕虜収容所のスケッチが残されています。

②折古の浜(因島) 
 1945年9月に、解放された捕虜たちが海水浴をするために訪れた浜。現在とほとんど変わらない海岸で、捕虜たちが「帰国はもうすぐ!」と喜びにあふれた表情で写っています。

③無量寺(因島) 
 約200基の墓石が並ぶ墓地の中央付近に、高さ約120cmの阿弥陀如来像が立つ共同墓地があります。戦時中に因島で亡くなったイギリス人捕虜たちが眠り、これまでに遺族や収容生活を共にした元捕虜たち約30人がお墓参りに訪れているそうです。

④向島捕虜収容所跡(向島) 
 収容所だった建物は2012年に取り壊されましたが、スーパー『エブリイ 向島店』の敷地内に、建物の一部である赤レンガの外壁と、収容所で亡くなった米英兵士を追悼するメモリアルプレートが設置されています。

●『地獄船で広島へ』 著/テレンス・ケリー 訳/尾道赤レンガの会 2200円
通販サイト「Amazon」で購入可能 ※Kindle版(電子書籍)は1100円
https://www.amazon.co.jp/dp/4802080069/ref=as_sl_pc_as_ss_li_til?tag=innoshimalink-22&linkCode=w00&linkId=553958368618b5639c3c7064ebf7918b&creativeASIN=4802080069

●尾道赤レンガの会
https://w.atwiki.jp/akarenga/

この記事に関連付けられているタグ