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国際平和拠点ひろしま

被爆オリンピック選手が撮り続けた戦争とスポーツと広島

 戦前に砲丸投げで1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックに出場し、トップアスリートとして活躍した髙田静雄さんが撮影した写真は、アスリートならではの視点から撮られ、その価値が今、高く評価されています。静雄さんの孫で写真家の髙田敏明さんにお話を伺いました。

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 私の祖父である髙田静雄は1909年(明治42年)に広島市で生まれ、柔道の選手から砲丸投げの選手に転向しました。するとすぐに日本記録を出し、1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックに日本代表として出場したのです。そのベルリンオリンピックでは、選手にカメラが渡されたそうで、フィールド内の近い場所から他の選手を撮影することができたようです。その時にカメラの操作については一通り習っていたのではないかと思います。
 帰国後に戦争(第二次世界大戦)が始まり広島で生活をしていた静雄も被爆してしまいます。原爆投下の日は、偶然にも朝の仕事がなかなか終わらず、社内に残っていたところ、自身の命は助かりましたが、大切な娘を亡くしてしまいました。さらに、原爆の爆風によって左肩とアキレス腱を痛めて、また原爆の後遺症で寝込んでしまったのです。その後、1954年(昭和29年)ごろに息子である私の父と一緒に本格的にカメラを始めたそうです。

 当初は、気持ちの落ち込みや身体の不調からか、暗いイメージの写真が多かったのですが、次第に広島に暮らす人々の様子や、スポーツをしている人たちの様子を撮った写真が増えていきました。

 1957年(昭和32年)から陸上マガジンという雑誌で「競技の心」という連載を持たせていただき、選手をクローズアップした写真を発表します。スポーツマンシップとはどういうことか、そして、物資がそろい、女の子たちも笑顔でスポーツができるような明るい時代になっていくのが伝わる連載でした。

 また、写真展のポスターに使われている写真「平和への道」に代表されるように、平和公園の資料館から慰霊碑にかけての道を、広島を訪れた外国人観光客に声をかけて撮影することも彼のライフワークとなっていたようです。
 晩年の静雄は寝たきりになっていたそうで、そのころに生まれた私は1度しか抱っこしてもらえなかったと聞いています。私の中に祖父の記憶はありませんが、撮影した写真や当時の記事からたくさんのことを知ることができています。

 2016年(平成28年)に、静雄が残した1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックで撮ったネガが見つかり、ちょうど東京オリンピックの開催が決定した後でもあったことから、その写真をまとめ2018年(平成30年)に東京、大阪、名古屋にて初めての写真展を開催させていただきました。静雄の写真を通して、写真の本来の姿である「記録する」「伝える」ということを感じていただき、これまでとは少し違う角度から、戦争やスポーツ、当時の広島の人々の様子などを感じていただけたかと思います。
 そして今回、広島でも初めて本格的に写真展を開催させていただきます。広島の風景や静雄が見た日常の写真も新たに展示し、本人がプリントした「オリジナルプリント」も展示の予定です。
 髙田静雄という人物がいたことを多くの人に知っていただきたいですし、彼が撮った写真が発するスポーツマンシップや人々の暮らし、平和へのメッセージを感じていただければと思っています。

髙田静雄(たかた·しずお)
1909~1963年。広島市出身。1936年に行われたベルリンオリンピックに砲丸投げの日本代表として出場。1945年8月6日に、勤め先の中国配電(現中国電力)本社で被爆。一命は取り留めたものの、娘を亡くしてしまう。その後、重い後遺症に苦しみながらも撮り続けた写真は、孫の敏明さんに引き継がれ、多くの人たちの心を打っている。

『髙田静雄展 平和への道』開催
2021年6月26日(土)~8月29日(日)
場所:泉美術館(広島市西区商工センター2-3-1 エクセル本館5F)
TEL:082-276-2600
時間:11:00~17:00(入館は~16:30)
休館日:月曜 ※8月9日(月・祝)は開館
料金:300円(一般)、150円(学生)、中学生以下無料
HP:http://www.izumi-museum.jp/ 

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