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国際平和拠点ひろしま

核兵器が使用されたら何が起こるのか?~1945年の広島から考える~

 

核兵器が使用されたら,何が起こるのか。

破壊されてそれで終わりではなかった,1945年8月6日以降の広島の歴史の一部を、医療の側面からご紹介します。

なぜ核兵器を使用してはいけないのか、考えてみませんか?

 

 

助かったと思った人が亡くなっていく「原爆症」

 

原子爆弾投下直後の被害(※)だけでも甚大なものであり,広島の医療従事者たちは被爆・負傷しながらも,自らの使命を果たすべく,懸命に治療に取り組みました。

しかし,医療の原爆との闘いは火傷や怪我を負うなどした負傷者の治療だけでは終わらなかったのです。

原爆投下から数日すると、無傷で健康そうに見えた人々が突然死するという異常な現象が広島市内で見られるようになりました。

こうした未曾有の異常事態は,限られた医薬品で負傷者の治療に当たっていた医師たちにも強い衝撃を与え,そして,「原爆症」という人類未知の病気にも,否応なく手探りで向き合うことを迫ったのです。

この「原爆症」(急性放射線障害)は直爆を受けた人々のほか,残留放射能や直後に降った放射性降下物を含む「黒い雨」により,放射線を浴びた周辺居住者や入市者も発症することとなり,直爆による死亡を含め,1945年末までの4か月の間に14万±1万人が死亡したと推計されています。

 

 

※原爆投下直後の被害

 原子爆弾の爆発の瞬間,強烈な熱線が放出され,爆心地周辺の地表面は3,000~4,000℃に達しました。

熱線が放出されたのは短時間でしたが,爆心地から1㎞地点の人は重度の火傷,3㎞以上離れた場所でも衣服で覆われていない部位に火傷を負うほど強烈なものでした。

また,爆発により生じた爆風は約10秒後にはほぼ市街全域に到達し,吹き飛ばされた人々が死亡あるいは負傷・失神したほか,爆心地から2㎞以内の木造建築は全壊しました。

そのあとには,熱線及び倒壊した建物からの発火により,大火災が発生し,爆心地から2㎞以内のものが燃え尽き,焼け死ぬ人も多くいました。

 

広島の惨状

 

紛争当事者以外で初めて原爆の惨状を目撃することとなったのは、1945年8月29日,広島に到着した赤十字国際委員会(ICRC)の職員だったフリッツ・ビルフィンガー氏。

次のように東京のICRC代表部に電報を送りました。

 

凄惨な状況。

街の80%は壊滅,あらゆる病院は全壊または大損害を被る。救急病院を二つ視察,状況は筆舌に尽くしがたい。爆弾の影響は不可解なほど深刻。回復してきたように見える患者が突如白血球の変質やその他の内部損傷による致命的な症状の再発に苦しみ,膨大な数の人々が死んでいく。(一部抜粋)

 

漫画で読む 原爆と医療の闘い

 

 

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