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国際平和拠点ひろしま

学芸員、映像作家として平和を訴求
~核の狂気を伝える映像作品『1945-1998』~




原爆死没者の遺影と被爆体験記・追悼記を収集し公開することを目的に設立された「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」。ここで2019(平成31)年から学芸員として勤務する橋本公(はしもと いさお)さん。実は、東京の大学の商学部を卒業後、17年間金融業界で働かれていました。銀行では大半を為替ディーラーとして勤務していましたが、ある日、仕事に関係するテレビの特別番組を観たことが橋本さんの転機となりました。「その番組で『金融業界のトレーダーの人たちは、ものを作ったり運んだりする人の上前をはねているだけのような気がする』というコメントを聞き、頬を引っ叩かれた気持ちになりました。当時は、業務自体もかなり厳しかったこともあり、自身のこれからを考え直すきっかけになりました。そしてもともと憧れていたアートの世界で食べていけたらと思い、41歳の時に美術大学へ進学しようと決めたのです」。


お話を伺った橋本公さん


その後、学芸員となる人材を育てる武蔵野美術大学の芸術文化学科に進学。芸術と向き合う充実した日々の中で、2001(平成13)年、アメリカで同時多発テロが起きました。「その惨事が起きた翌日、私は学校でデッサンの授業を受けていました。世の中で起きている現実と、陽だまりと静けさの中でモデルのデッサンをしている自分とのギャップに強烈な違和感を覚え、何か行動を起こさなければという気持ちになりました」。

ちょうど卒業制作の内容を考えていた時期で、社会問題を扱いたいという気持ちも持っていたため、「核実験」をテーマにした映像作品の制作をスタートしました。

橋本さんが手掛けた作品のタイトルは、『1945-1998』。人類史上初の核実験が行われた1945(昭和20)年から、包括的核実験禁止条約が採択され、爆発を伴う実験が1998(平成10)年以降禁じられるまでに世界中で実施された核実験を、アニメーションで表現しています。映像には説明が一切なく、世界地図上に国旗と数字、そして光の点滅が映し出されるのみ。まずニューメキシコでの世界初の核実験、その後に広島・長崎での原爆投下が続き、「ピッ、ピッ…」という電子音と共に1945(昭和20)年8月からの年月がカウントされ始め、各国の実験回数が表示されます。


©2003 Isao HASHIMOTO

映像作品『1945-1998』

https://www.youtube.com/watch?v=cjAqR1zICA0

戦後初の核実験がなされた太平洋ビキニ環礁を皮切りに、旧ソ連、イギリス、フランス、中国、インドと、世界各地で実験に加わっていく様子が、光の点滅と電子音で示されていきます。上下に映し出される国旗とカウント数は、どの国がどれくらい実験を行っているかを表しています。光の点滅は次第に数と速さを増し、世界のいたるところで核爆発が起きたという事実を伝えます。


東西冷戦が激化した60~70年代は息つく暇もないほどに光がともり、橋本さん自身も「どこまで点滅が続くのか怖くなりました」と、制作時を振り返ります


文字も説明も何もないけれど、核爆発が世界地図を覆いつくすように繰り広げられるさまが、“核の狂気”を訴え、観る人の心に不安と恐怖をもたらします。

「作品準備のために核実験について調べていくと、それぞれの核実験にコードネームが付けられていることがわかりました。例えば、第五福竜丸が被ばくした水爆実験のコードネームは“ブラボー”。1974(昭和49)年に行われたインドの核実験のコードネームは“微笑む仏陀”。信じられないほど無礼で配慮に欠けた名前が付けられていることに、強い憤りをおぼえました」。

作品を発表後、平和活動を行う団体などから多数の問合せがあり、『1945-1998』は世界へ波紋を広げていきました。特筆すべきは、包括的核実験禁止条約機関準備員会(CTBTO)の関係者から橋本さんへ「作品を展示したい」と申し出があり、CTBTOのWEBサイトで公開された後、ウィーンにある国連本部のミュージアムに2009年から常設展示されていること。作品を知る海外の人が、橋本さんの職場を訪れ、握手を求めてきたこともあるそうです。

橋本さんは、「箱根ラリック美術館」(神奈川県箱根町)で15年間勤務した後、現在は広島の原爆死没者追悼平和祈念館に在籍しています。神奈川でも核実験をテーマにした2本の作品を作り上げ、今は広島の被爆者の証言や体験記をもとにした映像作品を、同館の企画展示のために年に1本のペースで制作しています。

「戦争や平和について私たちが知っておかなければいけないことが、まだまだたくさんあります。これからも広島での仕事に真摯に向き合い、解決されていない被爆という問題を広く世界の人々に伝えていきたいと思っています」と語ってくれました。


●橋本公(はしもと いさお)さん

大学卒業後、17年間金融業界で働いた後、41歳で美大に進学。

2003年、卒業の際に制作した映像作品『1945-1998』が、国内外から注目を集める。

2002年から箱根ラリック美術館で学芸主任として15年間勤務した後、2017年に広島へ。

現在は、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に在籍。

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