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国際平和拠点ひろしま

広島市江波山気象館(旧広島地方気象台)

現在は気象と科学をテーマとした博物館であり,気象観測や天気予報の様子を見学や豪雨・暴風疑似体験ができ,子ども達にも親しまれている広島市江波山気象館。実は,被爆建物であり,広島市指定重要有形文化財でもあります。また,柳田邦男の小説「空白の天気図」の舞台でもあります。今回はそんな広島市江波山気象館について紹介します。

広島市江波山気象館の歴史

広島市江波山気象館は,1934(昭和9)年に広島県立広島測候所として建築されました。建物は鉄筋コンクリート造りで,戦前の建物の特徴と新しいモダンなデザインをあわせもつ,建築技術的,デザイン的にも非常に優れた建物でした。
1935(昭和10)年1月1日から正式に気象観測が行われるようになりました。それまで測候所は国泰寺村(現在の広島市中区千田町)にありましたが,周囲に民家や建物が立ち並び風速の観測などに影響がみられるようになったこと,さらに測候所前を通る市内電車の地震観測への影響などが考えられ,観測に理想的な場所として選ばれたのが江波山でした。
1939(昭和14)年に国営移管され,中央気象台広島観測所となりました。
その後,気象官署は運輸通信省に移管され,広島地方気象台と改称されました。(1987(昭和62)年には広島市中区八丁堀の合同庁舎に移転)
戦前の鉄筋コンクリートの建物は太平洋戦争のため,1934年ごろを境にその建築が行われなくなります。このことから広島地方気象台は戦前の鉄筋コンクリートの建物としては最末期のものといえます。戦前の建物の特徴である縦長の窓は明治期レンガ造りの建物の特徴を引き継いだものであり,2000(平成12)年には広島市指定重要有形文化財にも指定されています。

1945(昭和20)年8月6日 被爆

1941(昭和16)年,太平洋戦争が勃発すると,気象報道管制が施行され,観測値・天気予報は軍事機密となり一般への発表は禁止となりましたが,観測業務は続いていました。
1945(昭和20)年8月6日,広島に原子爆弾が投下。
広島地方気象台があった江波山は爆心地から5㎞以内に位置しています。鉄筋コンクリートの丈夫な建物でしたが,強烈な爆風によって全ての窓は鉄サッシが飴のように曲がり,ガラスはほとんど飛散しました。室内はドアの半数以上が吹っとび,窓ガラスの破片がコンクリート壁にも突き刺さりました。(突き刺さったガラス片は今も壁に残っています。)

ガラス片の刺さった壁(赤い印の部分)

台員たちも飛散物によって頭部をはじめ,手足などの露出部は特にひどい外傷を受け,血だらけになって右往左往し,全員が負傷者という状況でした。そんな中でも屋外で熱線を受け全身大やけどを負ったような重傷者を軽傷者が応急手当したり,近くの病院に運んだりしました。
施設にあった機械のうち地震計は破損したものの,測風塔および観測露場の百葉箱などには損傷なく,観測は継続して行われました。困難な状況にあっても一日も休むことなく気象観測が続けられたことを残された観測記録が物語っています。

気象学の父 岡田武松の言葉を貫いた台員の観測精神が窺える一面です。

「観測精神は,軍人精神とは違う。観測精神とは,あくまでも科学者の精神である。自然現象は二度と繰り返されない。観測とは自然現象を正確に記録することである。同じことが二度と起こらない自然現象を欠測してはいけない。それでは,データの価値が激減するからである。まして記録をごまかしたり,好い加減な記録をとったりすることは,科学者として失格である。」

「広島地方気象台 当番日誌(昭和20年8月6日)」には原爆が投下された後の様子が記されています。

午前8時15分頃B29広島市ヲ爆撃シ当台側器及台付属品破壊セリ。

台員半数爆風ノタメ負傷シ一部ハ江波陸軍病院ニテ手当シ一部ハ軽傷ノタメ当台ニテ専修科生ガ手当セリ。

盛ンニ火事雷発生シ,横川方面大雨降ル。

被爆した建物の壁は,今も一部が保存されています。

1945(昭和20)年9月17日 枕崎台風の襲来

原爆投下から1か月ほど経過した1945年(昭和20)9月17日,九州南部の枕崎付近に台風が上陸し,広島も襲います。広島地方気象台では,未だ通信機能が回復していませんでしたが,17日午前10時に「台風の接近にともない今夜から風雨強かるべし」という気象特報を出し,同時に,鉄道機関に対する鉄道警報を発令しました。台員は,当時電話が復旧していた江波郵便局まで出向き,広島鉄道局や市役所・県庁に通報を行ないました。ただし,原爆による戦災により特報や警報を一般市民に伝える体制は依然として麻痺しており,また報道機関も機能が十分回復しておらず,気象特報を防災対策に役立てることは出来ませんでした。

被爆による影響もまだ強く残り,通信機能も回復していない中での,台員達の闘いの様子は,柳田邦男の小説「空白の天気図」に詳しく紹介されています。

参照

「広島原爆戦災誌」

「空白の天気図」柳田邦男著 (文春文庫)

現在の江波山気象館では,暴風疑似体験ができる設備などもあります。

 

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