Hiroshima Peace Research・Educational Institution Network Foram 2014県内の平和関連の研究・教育機関による連携強化(フォーラム開催報告)
広島県内の平和に関する研究機関及び教育機関で構成される「ひろしま平和研究・教育機関ネットワーク」主催のミニフォーラムが開催されました。大学における平和教育をテーマに,県外講師による講演が行われ,県内大学等の平和研究・教育関係者が理解を深めました。
開催概要
2 場所:広島市まちづくり市民交流プラザ
3 テーマ:大学及び大学院における平和人材の育成について
4 出席者:平和研究教育関係者ほか一般県民の方 20名程度
講演内容
講師
演題
講演概要
〇 はじめに
恵泉女学園大学は1929年に,国際連盟の事務次長を務められた新渡戸稲造さんと親交があった河井道(かわいみち)という女性が今の中高にあたる学校を創設したのが始まりです。彼女は,(1)キリスト教的教育の実践 (2)国際平和を学ぶ (3)園芸を通じて命と向き合う の3つをその学園の理念としました。大学としての開学は,1988年で,まだ歴史は浅く,学生数は約1800名と小さな規模ですが,その理念から,キリスト教文化研究所,平和文化研究所,園芸文化研究所を設置しています。また1997年には,大学院に平和学研究科を日本で初めて「平和学」で修士号が取れる大学院として設置しました。さらには,昨2014年には『花と平和のミュージアム』を開設し,国際平和と園芸の視点から大学の理念を発信しようとしているところです。このように,平和に対して,熱心に取組んでいる,また,そのような姿勢の見える大学だと思います。
次に,僕自身は1956年に熊本に生まれました。広島であれば平和学への一定の理解があると思いますが,東京にいると「平和学って何を教えているのですか?」等とよく聞かれます。そういうとき,私は,両親や祖母らが台湾からの「引揚者」いわゆる「難民」でしたので,植民地問題を原点に平和に取り組んでいると説明しています。その意味では平和教育には普遍性とともに、個性や地域性があって当然だと考えています。
さらに、本学での職責ですが,2002年に初めて正規の大学教員となり,2007年から平和文化研究所長,2011年から大学院平和学研究科長の職にあります。これに比べれば社会活動の方が長く、1982年に人権NGO市民外交センターを設立し、以来日本では草分け的に先住民族問題に取り組んで来ました。また,2年前には社会正義をキーワードとしたNGO活動の支援組織ソーシャルジャスティス基金での活動もしています。そういう背景を前提に,今日は平和教育についてお話をさせていただきたいと思います。
〇 恵泉女学園大学「平和学」の体系と理念
本学はリベラルアーツ(一般教養教育)の大学で、国際機関や海外プロジェクトで活躍できる高度な専門家を養成するための大学ではありません。大学を卒業し、社会で普通の生活を送っていても,平和について目配せができるあるいは権力の暴力を見抜くことのできる人材の育成が目的です。先ほど平和学の個性や地域性の話をしましたが、本学では,次の4つの原則に従って平和学に取組むことにしています。1つ目は『非暴力の徹底』で,暴力による平和を基本的には肯定しません。平和を考える上では,人道的介入のように軍事力で「平和」を達成することも1つの可能性としますが,本学では非暴力の徹底、とくにそれを積極的に展開することがその第1の原則です。2つ目は,『「構造的暴力」や「文化的暴力」の視点の重視』で,これはノルウェーのヨハン・ガルトゥングの3つの平和概念のうちの2つです。第1概念の直接的暴力に取り組むことも重要ですが、抑圧や差別の社会構造や文化に取り組むことの意味は大きく,これが直接的な暴力とつながり、植民地主義と戦争の関係にも当てはまります。3つ目が『平和の主体を社会の中で最も弱い立場の人々とすること』です。僕自身の経験でも,平和を語りながらも,国家をあるいは政府や権力者を代弁することが少なくありません。とくに,国際平和というとそうなりがちです。その点,その対極の人びとの視線を忘れないようにしようというものです。もちろん,最も弱い立場の人たちをどう特定するのかは非常に難しい問題ではあります。最後の4つ目が『歴史的背景のきちんとした把握』です。みなさんもご経験があると思いますが,現代史は評価が難しい,受験競争の中で時間が取れないなどの理由から学ぶ機会が十分とはいえません。この点,少なくとも100年前を想定しなさいと学生によくいいます。昨2014年は第1次世界大戦100周年に関する授業を行いました。さらに,僕個人は,平和学には次の2つのポイントがあると考えています。1つは,「多元的な平和学」で,人権,開発,環境等重要な社会問題の分野を統合した形で立体的に平和学を構想することです。もう1つは,こうした平和学を学ぶことで、その普遍的な重要原則を「市民的価値教育」として体得し、平和学を通じて民主主義や市民社会の進展に貢献することです。
〇 恵泉女学園大学での「平和学」の事例
多元的にものを考えることについて,例えば核問題を事例にした『Out of Site Out of Mine』という豪州のドキュメンタリー映画を見ていただきたいと思います。この映画は,豪州で行われた英国の核実験から同国におけるウラン鉱山の開発への一連の流れを紹介しています。ただ,これは核爆弾がいかに危険で非人道的かを指摘しているだけではありません。学びとしての構造はかなり複雑です。ここで取上げられている英国の核実験は1953年豪州で行われました。豪州は1901年には実質的には主権国家でしたが,旧宗主国英国の安全保障上の要請としてある種の植民地意識の下で,核実験を引受けました。また,1901年から1973年まで非白人の移民を制限する移民制限法の時代で,移民の制限の実質は欧州系移民による国家建設が,白豪主義という差別政策の下で取られていました。この映像では,核実験の実施で多くの先住民族アボリジニーが被爆してしまいますが,この当時,彼らには豪州の市民権さえなかったのです。白人の農民は地下室へ逃げ込みましたが,彼らが入ろうとすると白人専用だからだめだと断られたという話も紹介されています。なぜかというと,アボリジニーは豪州の市民権がなかったからです。アボリジニーの市民権が確立されたのは1967年ですが,核兵器の実験の中に,旧宗主国と移民国家、移民の支配層と市民権さえ待たない先住民族という植民地や階級の構造があり、そこに被爆という問題が被さっています。さらにこの映画では,こうした構造は,現在のウラン鉱山と採掘事業まで続きます。1993年にはジェームズ・クックによる領有宣言の無効と先住民族の権利が最高裁判所で承認され,現在,豪州は見違えるような多文化社会になりました。同時に豪州はエネルギー大国としてウラン開発を拡張しています。映像で紹介されているのは1988年に操業が始まったオリンピック・ダム鉱山で、2011年に事故を起こした福島の原子力発電所で使用された燃料のウランはこの鉱山のもので、先住民族の権利を巧みに侵害して事業が拡大しています。映像でご覧いただいたように、豪州のウラン鉱山はほとんどが露天掘りですから,採掘のくずである鉱犀は人工の湖に捨てられます。採掘時には粉塵が飛ぶ他、この人造湖も洪水があればひどい環境汚染の源となるのです。基本的に、核兵器も原子力発電所もない豪州がウランの世界的な供給地だという矛盾や核サイクルの実態とは複雑なものだということです。
〇 多元的平和学の視点 学部1年「平和研究入門」大学院1年「平和学研究」シラバス
次に学部と大学院の平和教育のシラバスをご紹介したいと思います。お手元にもありますが、本学の学部1年「平和学研究入門」は全15回の授業で,平和の知識の前に平和の視点を学ぶことを教えます。例えば,6回目の『戦争の中に見えるもの見えないもの』ではパールハーバーを扱った映画を見せます。この課題は,留学して米国人とパールハーバーをどう議論するかというものです。まず、最近の学生はこの映画を見て、一番驚くのは日本が軍事大国だったという事実です。「自虐史観」などという言葉がありますが、学生は日本が被害者であった、被害者として悲惨な経験を繰り返してはならないと現在の教育では学んでおり、依然として加害者としての側面には鈍感です。さらに、ここに登場しないものは何だろうかと学生に問いかけます。米軍,日本軍など出てきます。何が出てこないかというと、ハワイで起きた事件にも拘らずハワイ人(先住民族)が出てこないのです。これは,ハワイにはかつてハワイ王国があり,米国自身もハワイが米国の州の1つとなる過程では同じように「奇襲攻撃」をしてきました。そこから、歴史の中にある,見えないものを見る視点,そこに描かれていないものを考える力を養わないと平和を語れないということを教えます。
また、「民主化とNGO・NPOの役割」では,自分が考えたことをどう社会に主張するかを学びます。新聞への投書,SNSの利用から,街頭デモをどういう手続きで組織するかについても教えます。デモをする人は怖い人だと思っていたという学生も多く,デモは市民の権利で,実施するための手続きもちゃんとあると説明すると,びっくりします。ちなみに,半分冗談ですが,腐ったトマトと生卵は政治家に投げつけてもよいと話します。
大学院1年の「平和学研究」では,視点と同時に関連性を学びます。授業のひとつに「平和の哲学と正義の哲学」があります。カントの「永久平和論」から始まり,マイケル・サンデルの「コミュニタリアニズム」までを扱います。サンデルの理論がなぜ大事かというと,「謝罪」との関係です。先ほどの豪州の映画の中に,2008年にオーストラリアのケビン・ラット首相がアボリジニーに対して行った謝罪のシーンが出てきます。これはストールン・ジェネレーションと呼ばれる世代,政府が先住民族の子供を誘拐して寄宿舎に入れ家族と引き離すという政策の犠牲となった人びとを対象にしましたが,大きく豪州の歴史そのものにも謝罪が行われました。ここでは,日本は韓国に謝罪をしたのかどうか,したとすればなぜ韓国はしつこく問題を蒸し返すのかを考えます。この豪州での謝罪は、被害者にもわかる明確な表現、国会における合同決議という手続き,全国への生中継という手段の明確さを学び、日本の「謝罪」が謝罪ではないのではないか,また謝罪は決して恥ずかしいことではなく,むしろ中途半端な謝罪こそが問題を複雑にすることを学びます。しかし,それだけでは,平和教育にはなりません。豪州でも,野党の議論には,「自分たちは直接手を下したわけでないのだから,自分たちがなぜ謝らなければいけないのか」という問題が出てきます。これを問うと学生たちは混乱しますが,そこに出てくるのがサンデルの「コミュ二タリアニズム」の考え方です。つまり,「過去の栄光を自分たちの利益のために語るのであれば,過去の問題も自分たちの責任として語りなさい」という考え方です。そこまで議論すると「謝罪」が学生の気持ちにすとんと落ちるのです。
〇 民主主義と平和主義の再構築
最後に、僕たちが大学で教えている中で,社会は大きく変質してきました。1つは冷戦構造が崩壊した後の世代,今の40歳代以下の世代には、保守と革新を軸に「平和」と「戦争」を考える基準が無くなりました。2番目に戦争体験者が人口の2割を切り,体感としても戦争を肯定してはいけないという人が減っています。3番目にはある種のグローバル化の影響の中で,パソコンで世界中とつながるように見えて、内側に孤立化する世代も増加しています。こういう中で僕たちは,「平和」とそれを支える「民主主義」社会が危機に瀕しているように見えます。ある意味では,「新しい日本社会」の中で,これはいい意味で言っているのではありません,「平和主義」と「民主主義」を戦後史の中から再構築する課題が,平和教育自体に課せられているのではないかとも考えています。
【質疑応答】
積極的平和という形でアクティブに学生と対話をされるようなアプローチは素晴らしいと思いますが,その一方で学生としてはやや受入れにくいと思うところや授業を受けたあとで果たして教わったことは果たして何だったのかと思うのではないかという疑問があります。平和の人材を育てるという観点から学生がどのような思いでいるのか教えていただけますでしょうか。
A:例えば,「平和学研究入門」では,知識でなく視点を学ぶということが目的ですから,1時間の授業でポイントが1つか2つわかればいいと確認して進めています。別の言い方をすれば,苦痛を感じるような授業は「平和」の授業ではないと明言し,予習も復習もいらず,リラックスしてと,臨ませます。本学では,例えば学部の2,3年の専門科目で,自分が関心を持った「平和」についてはより専門的に学ぶことができます。たとえば,「広島・長崎学」という授業があり,第五福竜丸展示館の学芸員もされている安田和也さんが担当されます。大学院の場合は,「グローバルガバナンス」という授業で,ピースボートの川崎哲さんが核軍縮問題を担当されます。個々の専門分野での平和学習はそれぞれの専門の先生が担当すれば良いのです。その土台作りの授業ですから,視点を学ぶ他にも、それまで学んできたステレオタイプの「平和教育」をぶち壊すことも行います。例えば、「戦後補償という問題」という授業では,戦争は悪いというけれどすべての結果に責任を取れるのならば、やってもいいのではないかと問いかけます。「平和」の授業の教員が戦争やってもいいのでないかと言うと学生は結構びっくりします。そして,さまざまな戦後補償の問題の存在を一緒に考えてみるわけです。
半期の授業が終わると,多くの学生が「平和」って何だかわからなくなったと感想を書きます。それでいいと,思っています。平和の達成はそもそも決して易しくはありません。むしろ,一度きちんと「混乱」することが大事で、それを再構築するために視点が必要なのです。
シラバスにある1つ1つのテーマが重要で,今の大学生に学んで欲しいテーマを扱っておられるなと感心しました。そのうえで,3点お聞かせいただきたいのですが,1つは,授業を通じての学生の反応がどうか,2つ目は,いろんな授業スタイルがあると思いますがどのようにしているのかそれを教えていただきたいということ,3点目は,評価は非常に難しいと思うのですがどのようにしているか教えていただきたいと思います。
A:学生の反応については,先ほども若干触れましたが,基本的に「混乱」します。また面白いのは,高校時代に,「平和」は善だと知識を一方的に教えられ平和学習嫌いになった学生が変わる時です。もちろん,かなり自由主義史観で教育されてきた学生には,少数ですが,僕の授業は偏っていると評価されます。ところが,平和学習嫌いになった学生が,「先生の授業は知識を押付けでなくて,こう考えたらいいんじゃないかという視点の授業だったので面白かった」と感想をくれ,その後も平和に関連する授業を取ってくれます。平和教育には信念は大事ですが,それゆえ絶対に正しいことだと押付けると,学生たちはそのやり方に反発を感じるようです。最後の授業では「信念は大事だけど,信念は100%自分自身が正しいと思い込むことではない。ひょっとしたら自分の考えが5%,10%間違っているかもしれないと思うことを忘れない」と話します。2つ目の授業のやり方ですが,「平和研究入門」は必修科目なので,1クラスが100人を超えます。まず,最初の30分は,その授業の実践的な課題,先ほどの米国でパールハーバーを議論したらとか,「謝罪」はしたのか,しなかったのかなどのその日の課題,キーワードとその意味,それから身近な生活と結びつくエピソードなどを話します。例えば,大量殺戮兵器では,第一次世界大戦と機関銃,そしてそのメカ二ズムと文房具のホチキスの話をします。つまり,核兵器を議論する時点で,僕らの人間としての感覚はすでに普通ではないという導線です。その後の30分は,関連する映像を見ます。そして,最後の30分がその意味をみんなで考えることで,教室を歩きながら,学生と議論をします。3つ目の評価に関しては,試験はしません。基本的に中間と期末の2つのレポートを読んでの採点です。とくに,評価の基準を明らかにすることが重要です。この授業を受けて,君たちが考えるようになったことを整理して書きなさいという感じのテーマを与え,戦争を肯定しても,先生の考え方を否定してもよいから,自分の考えをまとめなさいと指示します。もちろん,「平和研究入門」は僕を含め5人の教員で担当しているので,この点はそれぞれの違いもあります。
平和学を複数人で教えるということでしたが,教員が違えば教えるスタイルが違うでしょうし,シラバスも違えば様々なアウトカムを入れることになるのでどのように系統性を持って進めるのでしょうか。
A:本学は,1学年410人くらいで,5人の先生で担当しています。最初に触れましたが,広島と東京の「平和学」が違ってもいいように,それぞれの教員で違いがあります。学生は春学期と秋学期にそれぞれ「平和研究入門」1と2の2つを履修しなければなりません。つまり,少なくとも2人の教員の「平和学」を履修しなければなりません。僕のシラバスでは歴史への遡及や環境に踏み込むことが多いのですが,ジェンダー論や生活ベースでの平和に力点がある教員は,労働問題や東アジアに視点を置く教員,また,貧困や開発問題あるいはいわゆる平和構築に関心の高い教員もいます。その上で,共通の基盤を作るための努力も行っています。数年前には,担当教員で立命館大学のピースミュージアムを訪問し,立命館での担当者と意見交換を行いました。同じ論文を読んで合評会をするといった研修にも取組んでいます。2013年には,担当教員で平和学のコアとなる部分をシェアするという目的で『学生のためのピースノート』(御茶ノ水書房)という教科書も作りました。個性は大事にしながら共通のところをできるだけお互い確認していこうということで取組んでいます。改善点はまだまだあると思うのですが,教員間の信頼関係と相互理解は十分だと思っています。
講演レジュメ
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