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国際平和拠点ひろしま

Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol1IV まとめにかえて

1復興の最終段階としての民力による建物建設

よく言われているように,日本における復興の仕方は,公的な力によるインフラ整備や都市基盤の整備が中心であり,出来上がった土地にどのような建物を建設し,生活を再建していくかは,地主や建築主,さらにはその住み手や借主といった民力に任されていた。被爆後,まずバラックを建設し,都市基盤が整備された後に本建築を建設するという標準スタイルだけでなく,さまざまな形態がありえたが,いずれにしても都市の大半を占める建築はまさに民力によるしかなかった。しかし,公的には,資金の融資制度はあるものの,財力の乏しい主体による自力建設はかなり困難で,生活に追われていたことも稀ではなかった。

復興の過程で,家々が立ち揃い,まちの姿がしだいに現れていった。商業的な活動や業務的な活動が,店舗やビルの形をした建物を要求し,建築家や施工会社設計部等が対応して設計し,施工会社が建設した。都市はしだいに巨大な建築集団として形成された。その過程で幾人かの建築家が活躍したのであり,広島の暁設計といわれる建築家集団が戦後の建築設計を担っている。さらにそこから独立していく建築家もいて,さらに飛躍的な建築設計活動となっていった。建築一つ一つが広島の復興を体現するものであり,まさにこの姿を見て広島が復興しつつあるといい,復興の最終段階を建築が担ったのである。

2復興過程における批判や問題

平和記念都市建設計画が実現していく過程で何回か目立った市民の批判や不満が表出した。一つが,昭和24(1949)年7月,広島平和記念都市建設法の制定過程における住民投票時に現れた反応,もう一つは,昭和30年4月における市長選挙の際に現れた市民の反応であった。さらに根深い問題が区画整理に対する不満で,一部は訴訟にまでなって争われた。このような市民の負担や犠牲を伴った復興過程であったことを忘れてはならないのである。

(石丸 紀興)


注・参考文献

・建設省編・著『戦災復興誌第壱巻』(都市計画協会発行,1959),全 10 巻の内の1巻

・第一復員省編・国立国会図書館所蔵『日本都市戦災地図』(原書房,1983)

・Edited by Carola Hein, Jeffery M.Diefendorf and Ishida Yorifusa”REBUILDING URBAN JAPAN AFTER 1945”(PalgraveMacmillan,2003),Written by Norioki ISHIMARU”Reconstruction Hiroshima and Preserving the Reconstructed City”

・石田頼房著『日本近代都市計画の百年』(自治体研究社,1987)

・広島市編『広島新史/都市文化編』(広島市発行,1983)

・広島都市生活研究会編集『広島被爆 40 年史/都市の復興』(広島市企画調整局文化担当発行,1985) 

・基町地区再開発促進協議会編『基町地区再開発事業記念誌』(広島県・広島市発行,1979) ・井上亮『焦土からの再生/戦災復興はいかに成し得たか』(新潮社,2012)

 ・石丸紀興『広島の戦災復興計画時における復興顧問ジョン・D・モンゴメリーの計画思想とその果たした役割に関す研究』(日本都市計画学会都市計画論文集 No.33 -3,2009 年 10 月)829 – 834 頁 

・広島市都市計画局計画調整課『Town Planning in Hiroshima 広島の都市計画』(広島市発行)

・広島県『第四八回都市計広島地方画審議会議事録・速記録』(広島県都市計画課,1952)他。

・広島市市民局国際平和推進部編「平和記念施設保存・整備方針」の資料編 

・石丸紀興著「広島平和記念都市建設法の制定過程とその特質」(広島市公文書館紀要第 11 号,1988)1 – 56 頁

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