Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol1I なぜいま広島の復興が注目されるのか
「復興」とは,古くて新しい言葉である。日本人にとりもっとも大きな共通の復興体験は,第2次世界大戦による戦災からの復興であろう。国内の200以上の市町村が空襲を受けて焼野原となり,戦後,戦災復興院により全国115の都市で戦災復興事業が行われた。一方,最近では,平成23(2011)年の東日本大震災が,福島第一原子力発電所の事故による深刻な被害を併発したことも加わり,「復興」がいまなお未完の課題として被災住民だけでなく日本国民に重苦しくのしかかっている。そして戦災復興事業において被爆地・広島は当初,通常兵器による空襲で破壊された他の都市と同列に扱われ1),その後も広島の復興ぶりが特に注目されることはなかった。だが東日本大震災による福島原発事故後,「フクシマとヒロシマ」が一緒に語られはじめ,広島の復興が新たに注目され始めた。最大の要因は,放射線事故という経験を共有したことだが,果たしてそれだけなのだろうか。
一方,世界に目を向けると,東西冷戦終結後,旧ユーゴスラビアやルワンダ,東ティモール,スーダンをはじめ各地で発生した民族・宗教・文化的対立に基づく紛争や内戦,あるいは平成13(2001)年の米国同時多発テロ後のイラク戦争やアフガニスタン戦争で破壊された地域の復興が,平和のための大きな課題となっている。そして,それら破壊地域で復興事業に携わる関係者らが広島を訪れた際,異口同音に発するのが,復興を成し遂げた街・広島に対する驚嘆の言葉だという。もちろんそうした言葉には,表面上の賛辞もあろう。また前述したように,焼野原からの復興を遂げたのは広島だけではない。だが,広島を訪れる人たちの多くが,平和記念公園や平和記念資料館を見学した後,広島の街を歩き,広島の復興について知りたいと語る。いったい彼らは広島のどこに復興の姿を見出し,何を学びたいと感じているのだろうか。だが,この問いへの答えを探す前に,私たち自身が「広島の復興とは何か」を掘り下げてみる必要があるのではないか。本書はそうした問題意識に基づく,私たち自身への問いかけでもある。
注・参考文献
1)被爆都市・広島に特別の財源を確保するため,昭和24(1949)年5月,議員立法により特別法として「広島平和記念都市建設法」が制定され,一般の戦災復興事業より手厚い国の支援が行われた。