湯﨑広島県知事×前田万葉大司教 対談について
月刊誌『Voice』(2019年12月号)にて湯﨑広島県知事とローマ・カトリック教会の前田大司教の対談記事が掲載されました。38年ぶりのローマ教皇来日にあわせて実施された対談です。核兵器廃絶に向けた思いをぜひご一読ください。
掲載記事全文
【来/きた】る十一月二十三日からの四日間、ローマ・カトリック教会の教皇フランシスコが日本を訪れる。ローマ教皇の来日は一九八一年のヨハネ・パウロ二世以来、三十八年ぶり二度目である。来日のテーマは、「すべてのいのちを守るため~PROTECT ALL LIFE」。平和のために祈り働く教皇フランシスコの決意が表されている。
教皇フランシスコはなぜ日本を訪れるのか。そして私たちは今回の来日を契機に何に想いを馳せるべきか――。訪問先の一つにも予定されている広島県の湯﨑英彦知事と、教皇に次ぐ高位の聖職者である【枢/すう】【機/き】【卿/きょう】を日本人で唯一務めている前田万葉大司教にお話しいただいた。
悲願だった訪日
湯﨑 このたびのローマ法王(カトリック教会の呼称ではローマ教皇)の来日と広島訪問、心から喜んでおります。私は、ここ広島に一人でも多くの世界のリーダーに足を運んでいただき、被爆地の実相をその目で見ていただきたいと願っています。だからこそ、ローマ法王というまさしく特別な影響力をおもちの方に来ていただけることは非常に感慨深いです。
前田 私も来日の実現に喜びを噛みしめている一人です。湯﨑知事は一昨年にバチカンを訪ねて、サンピエトロ広場での一般参賀にも参列されたと伺いました。
湯﨑 幸運にもローマ法王との対面が【叶/かな】い、広島にお越しいただきたいとお伝えできました。法王はご就任時から核兵器廃絶にご関心を寄せておられますね。
前田 終戦七十周年の二〇一五年には、広島・長崎への原爆投下は「科学の進歩と技術の誤った使い方による、人類の不釣り合いな破壊能力の象徴」であり、「世界の人びとは立ち上がり、声を一つにして戦争や暴力を否定し、対話と平和を肯定すべきだ」との言葉を発し、核兵器や大量破壊兵器の禁止を呼びかけておられました。
湯﨑 広島訪問にあたり、あらためて世界に向けて発信していただきたい素晴らしいメッセージです。
前田 じつは、教皇フランシスコは若い時分に日本で宣教をしたいと強く希望したこともありました。しかし、体調の問題もあり実現しませんでした。今回の来日は教皇フランシスコにとっても積年の願いが叶うことを意味するのです。
湯﨑 前田枢機卿は、訪日についてローマ法王と何かお話をされたのでしょうか。
前田 私が枢機卿に【就/つ】いたのは昨年(二〇一八年)六月のことですが、その際に「Please come to Japan」とお声をかけたところ、「Yes」と私の手を強く握りしめてくださりました。それまでもお会いして握手することはありましたが、あのときの力強さは格別でした。
半年後の十二月、日本の巡礼団と共にローマで謁見した際にも来日を呼びかけましたが、すると「今日、皆さんとお会いしたのは日本を訪れるうえでの『食前酒』のようなものです」とお話しされました。いよいよ来日の実現度が高いと感じ、胸が熱くなったものです。
湯﨑 今回、広島と長崎の訪問が予定されているのは、やはり核兵器廃絶への想いによるものでしょうか。
前田 日本のどこを訪問すべきか、私も【直/じか】に相談を受けました。そのとき、まず話題に上がったのが核兵器廃絶です。核兵器は、使用はいうまでもなく、保有したり製造したりすることも倫理に反するというのが教皇フランシスコの考えです。このたびの来日で踏み込んだ言葉を発していただくことを、私も期待しています。
広島がもつ世界への特別な影響力
湯﨑 なぜ私が、世界のリーダーに広島を訪れてほしいと考えているのか。それは、ここ広島だからこそ伝えられるメッセージを【遍/あまね】く発信したいからです。
あらためて申し上げるまでもなく、広島は原子爆弾を投下されたことにより都市が破壊され、多くの【無/む】【辜/こ】の市民が犠牲になりました。原爆ドームや平和記念資料館に足を運んでいただければ、核兵器使用の先に待ち受ける悲劇がおわかりいただけるでしょう。つまりは、広島は原爆投下という人類が犯した究極のイービル(悪)を後世に伝えるうえで、大きな役割を果たしうる場所です。
一方、いま広島にお出でいただき街並みをご覧いただけば、戦争の【痕/こん】【跡/せき】は見てとれない。先の大戦から復興を果たし、経済も発展しています。一丸となって焦土から立ち上がった市民の【営/いとな】みや、国内外から寄せられた支援の【賜/たま】【物/もの】です。人類のポテンシャルをポジティブに発揮すればこそ、現在の広島の繁栄があるのです。
前田 私たちがもつ力を悪しき方向に用いれば、原爆投下などの「破滅」を招きます。しかし良い方向に働かせれば、廃墟からの復興という「奇跡」をも導きます。
湯﨑 広島では、人類がもつ力の両面をその目で確認できるのです。悲惨な過去を忘れることなく、【真/しん】【摯/し】に反省を重ねることは大切です。しかし、人類は愚かだと悲観的になるだけでも前進はない。われわれにはゼロから繁栄や平和を築く力があることもまた事実でしょう。
前田 そのメッセージを他ならぬ広島から発することに価値がありますね。私は二〇一四年までの三年間、広島で司教を務めていましたが、そのあいだに外国を訪ねて「広島から来ました」と自己紹介すると、誰もが広島と「Atomic bomb」の歴史を知っていました。広島が世界に対してたしかな影響力をもっていることを実感しました。
「自分ごと」として平和に向き合える教育を
前田 また、このタイミングで教皇フランシスコが広島や長崎を訪れることにも大きな意味があります。いまや、先の大戦を実体験された方が年々少なくなっています。語り部の方から直にお話を聞けるうちに、広島・長崎があらためて注目されるのは、われわれカトリックの言葉でいえば「お恵み」に他なりません。
湯﨑 戦争の【惨/さん】【禍/か】を身をもって経験された方は、皆さんご高齢になられています。終戦時に十歳の方でも来年には八十五歳を迎えられるわけで、あの悲劇をいかに後世に伝えていくかは、広島にとっても重大な課題です。
私の母は呉で空襲に遭いました。当時の体験はほとんど話しませんでしたが、それでも防空壕に身を置いたときの恐怖は教えてくれました。そんな母も、ずいぶん前にこの世を去りました。広島には伝承者を育成することや、語り部の方の証言を記録するなどの「リアルな体験」を残す努力をする責務がある。
前田枢機卿は長崎のご出身ですが、やはり先の大戦の記憶を聞いてお育ちになられたのでしょうか。
前田 亡き母は被爆者でした。先祖の隠れキリシタンの話はよくしてくれましたが、原爆投下の【凄/せい】【惨/さん】さについては口をつぐんだ。平和記念式典のテレビ中継を一緒に観ながら語ってくれることもありましたが、肝心なところで話を止めたこともありました。
それでも、産まれたばかりのわが子に【覆/おお】いかぶさるようにして被爆し落命した伯父の話は教えてくれましたし、私も被爆二世のせいか国から難病指定を受けました。そうした話を聞いたり経験したりしたからこそ、「命の尊厳」や「平和の尊さ」という、ある意味では普遍的なテーマを自然と深く考えるようになりました。
湯﨑 遠くない未来、戦争の体験を直接聞くことができない時代が訪れます。そのときに重要なのは、各人が証言や記録に触れたうえで、自分の置かれている状況に照らし合わせて、つまりは「他人ごと」ではなく「自分ごと」として平和を考えることです。行政として、そのように「自分ごと」として平和に向き合える教育や環境づくりに努めなければなりません。
前田 おっしゃるとおり、何ごとも「自分ごと」として捉える姿勢は【尊/とうと】いものです。いまの平和が永遠に続く保証はありません。ならば、平和を保つために私たちは何を為すべきかを考えなければならないでしょう。
湯﨑 それこそ核兵器にしても、いまこの瞬間には使われていないので遠い問題のように感じられます。しかし、明日はわからない。意図的でなくとも核が使用される可能性だって否定できません。脅威は私たちの「すぐ【傍/そば】」にあると自覚すべきです。人類の力を愚かに用いた末に招いたあの【惨/さん】【劇/げき】を断じて繰り返してはならない。そのリスクを文字どおり「ゼロ」にするには、やはり核の廃絶しか道はないはずです。
前田 非暴力、非武器、そして非核。人類はこの三つを実行に移さなければいけないと思います。「人類が十字架担ぐ終戦日」とは、恥ずかしながら私が詠んだ俳句ですが、八月十五日に【担/かつ】ぐべきは銃ではなく十字架です。イエスならば武器を衣に変え、食に変え、住に変え、そして十字架に変えたことでしょう。
なのに、現代を生きる私たちは、莫大な資金を投じて武器をつくり、己を破滅に導きかねない核兵器を開発している……。なぜそのお金で貧困などに苦しむ人びとを救えないのか、私は悔しい想いがするばかりです。
核は「必要悪」なのか
湯﨑 私も【忸/じく】【怩/じ】たる想いを抱えています。だからこそ被爆都市・広島としては、具体的なアクションをとり続けなければならない。たとえば今年は、世界中から若者を広島に招き、核兵器の現実を知識としてだけではなく、心と身体で感じてもらう「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)アカデミー」を開催しました。また、毎年「国際平和のための世界経済人会議」も開催しています。今年はICAN共同創設者のティルマン・ラフ氏やジャック・アタリ氏にも登壇いただき、ビジネスと平和構築のあり方との関係を多面的に議論したいと思います。われわれの社会活動の大半は経済的活動であり、それを無視して核兵器廃絶などの大きなテーマを語ることはできません。
前田 素晴らしい取り組みです。その他にも広島県は「ひろしまラウンドテーブル」も開催されていますね。核軍縮・軍備管理に向けた多国間協議の場であるとお見受けしております。
湯﨑 多くの専門家や実務者が一堂に会し、広島で被爆の実相をふまえて核兵器廃絶に向けた方策を議論しています。とくに注力して議論を交わしたのが、抑止力の問題です。
前田 たしかに核兵器に関しては、しばしば抑止力としての意義が語られます。そうした考えも理屈としては成り立つのでしょう。しかし私個人としては、やはり非武装・非武器・非核の道に進むべきだと考えます。
湯﨑 核保有論者は、核兵器が戦争を抑止していると語ります。しかし、いまの世界を見てください。各地で起きている紛争は止まず、いまこの瞬間にも尊い命が奪われている。
「核兵器の発明で戦死者数が減った」との主張もありますが、本当に核兵器開発だけが理由でしょうか。明確なエビデンスはなく、そもそも先の大戦以降、医療技術の発達など世界は大きく変わっています。戦死者数が減っている原因は少なくとも一つではない。
全面戦争を防ぐのに、核兵器が一定の役割を果たしているという見方が一部にあります。だからといって、現実を変える必要がないと、思考を停止してはいけません。核はしばしば「必要悪」といわれますが、ならば人類の【叡/えい】【智/ち】を結集し、その「悪」を取り除く努力を重ねていく。それこそが現世代の大きな責任でしょう。悪があると知りながら【諾/だく】【々/だく】と容れるのは現実逃避だと思うのです。
異なる宗教や文化同士でも手を取り合える
前田 いま、人類に必要となる姿勢は、「【赦/ゆる】し」と「和解」ではないでしょうか。喧嘩に【喩/たと】えるならば、もしも相手を不快にさせたのならば、早い段階で加害者が「ごめんなさい」と謝り、被害者は「いえいえ」と赦す。現在の世界をみると、そうした「赦し合い」の精神が欠けているように思えてなりません。
湯﨑 赦し合い……とても素晴らしい言葉ですね。【翻/ひるがえ】っていまの世の中は、赦し合うどころか多くの人間が自分の目先の利益だけを求めているように感じます。
前田 だからこそ私は、人間教育が大事だと思うのです。人は【傲/ごう】【慢/まん】になれば、他人に感謝の念を向けることを忘れてしまう。そうではなく、私たちの根本にある優しさや思いやりを、子どものころから【培/つちか】うことが肝要です。その意味では、広島や長崎が行なう平和教育は、人間としてもっとも大切なことを教えていると感じます。
湯﨑 原爆投下が人類の「負の遺産」であることは間違いありません。だからこそ広島には、平和への願いを発信したり、築く努力を行なったりする使命がある。
そこでお聞きしますが、前田枢機卿はカトリック、ひいては宗教は、平和を築くためにいかなる役割を果たしうるとお考えですか。宗教とは本来、人びとが【安/あん】【寧/ねい】な暮らしを求めた末に生まれたものだと理解しています。しかし一方で、近年では宗教同士の争いが国家間や民族間の対立の根源であるかのようにも語られています。
前田 私は、異なる宗教同士も手を取り合えると確信しています。二〇一四年に広島で司教を務めていた当時、神道、仏教、そしてキリスト教の各宗派でつくる広島県宗教連盟は、翌年の被爆七十周年に向けて核兵器廃絶や命の尊厳について訴える共同宣言の発信をめざしていました。私は同年秋に大阪に移りましたが、翌二〇一五年には実際に共同宣言が出されました。宗教という垣根を越えて、共に力を合わせて「平和」という共通の目標に向かった経験は貴重なものでした。
湯﨑 その意味では、今回、ローマ法王が比較的キリスト教徒の数が少ない日本を訪れること自体、異なる宗教や文化の交流ともいえます。繰り返すようですが、この機会に、核兵器廃絶と、私たちは力を合わせれば平和・繁栄・幸福を掴めるのだと世界に訴えかけたい。
前田 教皇フランシスコは、核兵器廃絶はもちろんのこと、現在の日本で自殺者が多いことも気にかけておられました。その話を最初に聞いたときは、日本の自殺者数自体は減っているので不思議にも思ったのですが、十代の自殺者が多い点が心配だというのです。また、老人の孤独死にも関心を示しておられました。今回の訪日のテーマ「すべてのいのちを守るため」は、まさしく教皇フランシスコご自身の願いと祈りなのです。
私自身も枢機卿という立場から、戦争のみならず、政治や経済、環境問題など、あらゆる面において命を大切にする意識が大切だと呼びかけていきたいと考えています。人類が自分たちのことしか頭になければ、環境や資源を破壊するし、兵器をもつくってしまう。そうではなく、他人にも自然環境に対しても、謙虚に、慈愛の心や感謝の気持ちをもてば、たとえ少しずつだとしても世の中が変わっていくと信じています。
湯﨑 ローマ法王がそれほど日本の現状に詳しいことに驚きました。今回の来日と広島や長崎への訪問を機に、日本のみならず世界中にあらためて「命の大切さ」が伝わることを願っております。
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