被爆した建物などから広島の過去を知る
平和祈念資料館
広島平和記念資料館(本館)は,平和記念都市広島のシンボルというだけでなく,戦後日本の建築はここから始まったといっても過言ではありません,記念碑的な作品です。戦後の建物として初の国指定重要文化財になったのが,東京・大阪ではなく広島の2作品(この資料館と世界平和記念聖堂)であることは,その証といえるでしょう。 こちらの記事では平和記念資料館が建設されるまでの歴史や,建築に携わった人々についてご紹介します。
平和記念聖堂(カトリック幟町教会)
世界平和記念聖堂は,広島におけるカトリックの中心的な施設であり,被爆時に全焼した幟町教会を,世界平和への祈りを込めて規模を拡大し再建したものです。傑出した建築作品としても知られ,戦後の建物としては初の国の重要文化財に指定されました。 こちらの記事では,内部の詳しい構造や建設までの歴史などをご紹介します。
原爆ドーム(旧広島産業奨励館)
広島でもっとも有名な建物である原爆ドーム。被爆前は広島を代表する建築として親しまれ,観光名所にもなっていました。こちらの記事では,原爆ドームの被爆前のエピソードや,詳しい構造などについて紹介します。
イエズス会聖ヨハネ修道院黙想の家
広島デルタの北側,広島市安佐南区長束の小高い丘に建つイエズス会(カトリック修道会)の修道院。1938年に建てられたもので,当初は修練院と呼ばれるイエズス会士の養成施設でした。キリスト教らしからぬ和風の外観は,周辺の家々になじませるためとも言われています。こちらの記事では,外観が和風の珍しい造りの教会についてもっと詳しくご紹介します。
旧逓信(ていしん)病院外来等
白島の電停近くに建つ,白い箱のような建物。ありふれたビルだと思って通り過ぎてしまいそうですが,これもれっきとした被爆建物で,広島に残る数少ない戦前期のモダニズム建築の一つです。 こちらの記事ではこの建物の内部や,被爆前に医療施設だった頃のエピソードを紹介します。
旧日本銀行広島支店
広島市の中心部、鯉城通りに面して建つ、歴史ある銀行建築です。戦前の広島では陸軍関係を中心に国庫金の出納があったため、1905年に日本銀行広島出張所が開設されて1911年に支店に昇格し、1936年に建てられた二代目の支店が現在残る建物です。1992年に支店が基町に移転するまで使用されました。 こちらの記事では,建物の歴史や詳しい内部の構造などについて紹介します。
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被爆建物・樹木を知る
原爆に耐え抜いた建物や樹木などを見ると、歴史的事実や被害の惨禍を知ることができます。 今回紹介する平和記念公園一帯は、被爆前は中島地区と呼ばれ、市内有数の繁華街としてにぎわっていましたが、爆心地から至近距離にあったこれらの地区は、原爆により壊滅状態となりました。
被爆建物・樹木を知る(千田エリア)
爆心地の南約2キロメートルの辺りに広がる広島市中区千田地区には、広島文理科大学や千田国民学校など、多くの教育施設が設置されていました。原爆投下により木造の建物は倒壊全焼し、多くの犠牲者が出ました。
被爆建物・樹木を知る(比治山エリア)
広島市で最初の公園として開設された比治山公園は、桜の名所として市民から親しまれていました。爆心地から約2キロメートルの距離に位置し、原爆投下直後は燃え広がる炎を逃れて避難してきた多くの人が、園路や木陰にあふれました。