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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s path to reconstruction1945年8月6日 広島に原爆が投下された日の出来事

広島に原子爆弾が投下されて75年。当時の広島では何が起きていたのでしょうか。

日時が判明している限りにはなりますが,8月4日の空襲警報発令から8月6日までの出来事を紹介します。

Twitterでもその時間に投稿をしていますのであわせて御覧ください。

日時 出来事 出典
8月4日23時50分 警戒警報発令 広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月
8月5日0時35分 警戒警報解除
8月5日21時20分 警戒警報発令
8月5日21時27分 空襲警報発令
8月5日23時55分 空襲警報解除
8月6日0時25分 空襲警報発令

8月6日2時45分

(日本時間1時45分)

エノラ・ゲイ号テニアン基地を離陸

8月6日3時

(日本時間2時)

エノラ・ゲイ号にて最終起爆装置取付に着手
8月6日2時10分 空襲警報発令解除
8月6日2時15分 警戒警報解除

8月6日6時30分

(日本時間5時30分)

エノラ・ゲイ号:赤プラグを挿入する(投下すれば爆発する状態に爆弾を置いた)

8月6日7時9分

ラジオは「敵B29四機が広島市西北方上空を旋回中」と報じる

8月6日7時10分

警戒警報発令 広島県『広島県庁原爆被災誌』,1976年3月

8月6日7時31分

「中国軍管区上空に敵機はありません」のラジオ放送をもって,警戒警報が解除された

8月6日9時9分

(日本時間8時9分)

エノラ・ゲイ号:目標広島が視界に入る 広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月

8月6日8時15分

午前8時15分,原爆が投下された。約43秒間落下した後,相生橋よりやや南東の島病院付近高度約600メートルの上空で核爆発を起こした。核分裂により大量の中性子線が放出された。爆発の瞬間,巨大な火球ができ,強烈な熱線が放出され,周辺の地表面は3,000~4,000°Cに達した。火球が消えた後,高度約1万6,000メートルに達する巨大なキノコ雲(原子雲)が生じた。また,爆心地では最大風速440m/秒の強烈な爆風が発生した。爆風は放射状に広がり,約10秒後にはほぼ市街全域に到達した。

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻』,2014年3月

8月6日8時30分過ぎ

呉鎮守府防空指揮所から大本営海軍参謀奥宮正武海軍中佐に直通電話を受ける。「たった今,広島の上空で,大閃光とともに,キノコ型のとてつもない大きな雲ができた。(以下略)」

広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月

8月6日8時50分

宇品の陸軍船舶司令官は「本六日〇八一五敵機ノ爆撃ヲ受ケ各所ニ火災発生シ爆風ノ為被害相当ニアルモノゝ如シ」として,とりあえず市内の消火・救難を命じるとともに,患者を似島検疫所に輸送するよう命じた。

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻』,2014年3月

8月6日10時6分

(日本時間9時6分)

テニアン基地作業室から陸軍省に通信文を発信

「(省略)明らかにすべての点で成功。目撃効果,トリニティより大。」

広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月

 

 

 

8月6日9時30分

陸軍船舶司令官は,元安川東方地区一部火災の発生の報告により,次のとおり処置をした。1海上防衛隊長に命じ,消化艇二隻を元安川を遡らせ,赤十字病院付近の消火を命じた。2船舶練習部長に命じ,救援隊三隻を元安川を遡らせ,救難するよう命じた。

8月6日10時

陸軍船舶司令官は,第二総軍司令部及び其付近の被害が相当大きい旨報告があったので,次のとおり処置した。1船舶衛生隊長に命じ,救護班一を第二総軍司令部に派遣し救護させた。2堀尾参謀を第二総軍司令部に派遣し,業務連絡にあたらせた。陸軍大臣・参謀総長に広島の被爆の概況を電報で報告した。

8月6日10時40分

陸軍船舶司令官は,火災が京橋川西岸に延焼の情報があったため,破壊消防を命じた。また死傷者続出の情報があったため,傷者の救護及び似島への輸送を命じた。

8月6日11時20分

呉鎮守府は,広島からの帰来者の報告により,救援隊派遣準備を命じた。

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻』,2014年3月

 

8月6日11時30分

陸軍船舶司令官は全部隊に対し,日常的業務を停止し,救援活動に従事するよう指示した。

8月6日11時33分

陸軍船舶司令官は,似島収容所救護を強化するため,第十教育隊の100名を増加した。

広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月

 

 

 

8月6日12時

陸軍船舶司令官は,比治山北側地区の火災が拡大しているという情報があったため,海上防衛隊長に命じて,消化艇の一部を猿猴川を遡らせ,比治山北側地区の消火を命じた。

8月6日13時10分

陸軍船舶司令官は,南大橋北側元安川東岸地区の火災により,死傷者相当多数に上ったとの報告を受けたので,次の部隊に南大橋付近での破壊消防並びに救難を命じた。

防空勤務中隊 将校以下25名

野戦船舶本廠 将校以下110名

第十教育隊救護班 軍医以下10名

8月6日13時20分

陸軍船舶司令官は,宇品地区の水道が減水し,使用不可能となったため,幸の浦より衛生濾水器を宇品中央桟橋に輸送し防疫給水を命じた。

8月6日13時25分

呉鎮守府は,5隊の救護隊を派遣した。

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻』,2014年3月

8月6日13時30分

陸軍船舶司令官は,被爆情報が,刻々その惨烈を伝えてきたため,船舶司令部は,電報班を除き,通常業務を停止し,全力を挙げて救護救難を命じることとした。

広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月

 

 

 

 

8月6日13時52分

陸軍船舶司令官は,福星丸及び交通船二隻を中央桟橋に差出し,似島への患者輸送を強化した。

8月6日14時頃

 

中国地方総監府の副総監は,第二総軍司令部を訪れ,総監の死亡,県庁・市役所・警察機関の全滅を報告し,事態収拾の軍への委任と罹災者の救援を要請した。

船舶司令部において、これまでに収容した傷者は,約千三百名内外であった。

患者の収容護送の処置として,船舶本廠長に14時以降患者の収容並びに似島輸送を命じた。また患者増加のため似島の収容が困難となったのに備え,船舶練習部長に15時以降,同部に患者収容の準備を命じた。

8月6日14時55分

陸軍船舶司令官は,気象教育隊及び船舶練習部より,待機部隊を編成した。

8月6日15時まで

広島市内の防空体制は壊滅に近い打撃を受けたが,午後3時までに乾パン12万食が配給された。

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻』,2014年3月

8月6日16時

陸軍船舶司令官は,野戦船舶本廠より下士官以下四六名を出し,比治山橋付近の宇品憲兵隊長の指揮下に入り,傷者の収容を命じた。

広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月

8月6日16時40分

広島地区の警備に関する命令(「船防作命第18号」)が出される。

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第3巻』,2017年3月

8月6日16時50分

陸軍船舶司令官は,罹災者用衣糧として,船舶倉庫長に命じ,乾パン9,600,作業衣袴6,500,密柑缶詰(患者用)7,000を広島市に交付した。

広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月

 

 

8月6日17時頃

石原虎好警察部長が比治山の多聞院にたどり着き,「県防空本部」を設けた。

8月6日18時

陸軍船舶司令官は,似島収容所における救護の手が不足との報に接し,船舶本廠の女子百名を増加した。

8月6日20時40分

宇品の陸軍船舶司令部は,患者が激増するなかで,安芸郡坂村の横浜国民学校など4か所に療養所を開設し,1,000人を海上輸送した。

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻』,2014年3月

8月6日21時30分

陸軍船舶司令官は,本安川・太田川(本川)流域付近(県庁付近と推定される)の火勢が,逐次増大したため,海上防衛隊長をして消火艇の主力で消火にあたらせた。同時に各警備地区隊長に現状報告を要求した。

広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月

 

出典の一部はウェブサイトにて閲覧可能です。

広島市役所編集・発行『広島原爆戦災誌』第1巻, 1971年8月, http://a-bombdb.pcf.city.hiroshima.jp/pdbj/common/download/sensai1.pdf

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻』,2014年3月,https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/

国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会『広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第3巻』,2017年3月,https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol3/

爆心地中心の被害についてはこちら  原爆の衝撃に関するお話はこちら

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