コラム 7 被爆体験から核廃絶へ
原田 浩
2019年春、広島平和記念資料館がリニューアルした。本館の展示ケースの中に、被爆者が身に着けていた衣類が綺麗に並べられている。一体誰が、この衣類の中に幼い子や学徒、若い女性や働き人などの息と血の通った肉体があり、あの瞬間、想像を絶する熱線と爆風、放射線を浴びてどうなったか、想像できるだろうか。
半径2kmの全焼全滅区域では、多くの市民が即死した。かろうじて生き残った人びとは、わが身に何が起こったのか分からないまま地獄と化した市内をさまよい、直後の高熱火災が迫る恐怖の中を死に物狂いで逃げ惑った。また建物の下敷きになって生きたまま焼き殺された人びとも数え切れない。一年中で最も暑い8月の炎天下、徹底的に破壊され逃れる建物もなく、容赦なく照り付ける灼熱の中、腐っていく人体の死臭が充満する。皮膚が熔け深い傷を負ってかすかに息をする人を助ける者はいない。市内にいた医師も看護婦もほぼ全滅し、治療の薬も皆無に近かった。
たった一発の、直径70cm、長さ3mの原子爆弾がさく裂したことで、当時の広島市の人口約35万人のうち、この年に14万人近くが被爆死した。今も平和記念公園(平和公園)にある原爆供養塔には、名前も分からず引き取り手がいない無辜の7万柱とされる魂が眠っている。そのうち名前の分かる814人の遺骨も引き取る者が現れない。あの日から市内の公園や学校の校庭で、おびただしい数の犠牲者の死体が山積みされて焼かれた。市街地を覆う強烈な匂いの中を被爆者たちは必死で生き抜いた。
敗戦も間近か、日本各地に焼夷弾が投下され焼け野原になった。大方の国民が疲弊窮乏しており、衣食住のすべてを失った広島市民に救助や救援物資はほとんど届かなかった。市民は心身に深い傷を負い、さらに歴史や文化、地域社会などを失い、放射能の恐怖に晒され耐えがたい差別も受けた。現在、市内には全焼全滅区域にいて生存している直接被爆者が約1万2千人いるが、あの瞬間、真夏の素肌を直撃した核兵器の巨大な破壊力、自らの五感がとらえた体験の記憶を心の底深く封印した人が多い。
その後、「ヒロシマ」は広く人類史上最初の被爆都市として知られ、広島市だけではなく国、県、各種団体、教育機関、報道機関などが、世界へ向け「平和」を発信している。しかし、被爆体験を原点としない平和活動は一過性のイベントになっていないであろうか。様々な意見・提言の多くが「言いっぱなし、聴きっぱなし」で終わり、行政はほとんど検証していない。
如何に沢山の言葉や数々のデータ、様々な映像、苦心の研究論文を駆使しようとも、被爆者の声に耳を傾け被爆の実相に迫らない展示や研究などや、また被爆者から体験を聞き、代わってそれを「物語る」活動は虚しく思われる。言うのも辛く聞くのも辛い、余りにもむごい体験を、養成された伝承者は物語ることは出来ても伝えきれるものではない。
昨年11月、フランシスコ・ローマ教皇が広島へ来られ、平和公園で「平和のための集い」があった。教皇は「戦争のための原子力の使用は犯罪である」「核の脅威で威嚇しながら平和を語ることはできない」と、きっぱりと力強いメッセージを被爆地ヒロシマから、世界に向けて発信された。
同じ平和公園で38年前、当時の教皇ヨハネパウロ二世は「広島を考えることは、核戦争を拒否することです。平和に対しての責任をとることです」と述べられた。その言葉は市民の心に深く刻まれ、平和活動の支えになってきた。
被爆75年が経つ今も、米国をはじめ9か国が核兵器を持ち他国を威嚇している。しかし、核兵器による戦争には勝者も敗者もなく、地球に住む運命共同体である人類の滅亡に至ることを、我々は本能的に知っている。
被爆者が高齢化し減少していく中で、如何に被爆体験と被害の実相を風化させず伝えて行くことが出来るか。やがて被爆者がいなくなった時、それを後世に伝えインパクトを与えるのは何か。語り部の「物語り」ではなく、被爆した建造物や樹木などではなかろうか。爆心地に近い平和公園は、被爆前は呉服店、写真館、旅館、病院、寺院などが密集していた所であり、今も地下にはあの一瞬に壊滅した街並みの遺構が眠っている。世界遺産になった原爆ドームだけでなく本川小学校、旧日本銀行、旧陸軍被服支廠などの被爆建造物は、核兵器のすさまじさを今に告げている。これらは数多くの瀕死の被爆者が収容され、ほとんど治療されることなく最期を遂げた無念の場所であり、被爆の痕跡、軍都広島の歴史など様々なことを伝えている。こうした建造物や必死で生きてきた被爆樹木は、被爆者がいなくなった後も、核廃絶と平和を強く訴え続けるものと確信する。
2017年に国連で採択された核兵器禁止条約は、未だに50カ国の批准を満たしていない。それにしても唯一の被爆国と言いながら、この条約に背を向ける日本政府の態度は、世界の国々から見れば不可解であろう。今まさにフランシスコ教皇のメッセージに、日本人はもとより13億人のカトリック信徒をはじめ世界中の人びと、とりわけ各国の指導者がどう答えるかが問われている。「平和」と「核の脅威」を言うよりも、読者一人ひとりがどう行動するかが重要である。このかけがえのない美しい地球、大切な人や生活、平和な日常を愛する者が、核廃絶のために行動を起こさなければ、誰が行動を起こすのであろうか。
(元広島市国際・平和担当理事(兼広島平和記念資料館長))