Hiroshima Report 2023序文
『ひろしまレポート2023年版―核軍縮・核不拡散・核セキュリティを巡る2022年の動向』(以下、『ひろしまレポート2023年版』)は、令和4年度にへいわ創造機構ひろしま(事務局:広島県)から委託を受け、(公財)日本国際問題研究所 軍縮・科学技術センターが実施した「ひろしまレポート作成事業」1の調査・研究の成果である。核軍縮、核不拡散及び核セキュリティに関する具体的措置・提案の2022年の実施状況を取りまとめ、日本語版及び英語版を刊行した。
『ひろしまレポート』の刊行が開始された2012年以降、核兵器廃絶の見通しは依然として立たないばかりか、核兵器を巡る状況は厳しさを増してきたが、とりわけ2022年は、核軍縮、核不拡散及び核セキュリティのいずれの分野でも大きなインパクトを与える事象が相次ぎ、核を巡る秩序が大きく揺らぐ年となった。
2022年2月のロシアによる核恫喝を伴うウクライナ侵略は、広島・長崎への原爆投下以来初めて核兵器が使用されるとの強い危機感を国際社会にもたらすとともに、核軍縮を巡る様々なアクターの間の亀裂をさらに拡大させた。6月の核兵器禁止条約(TPNW)第1回締約国会議では3つの合意文書が採択されたが、8月に開催された核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議では、ロシア一国の反対で最終文書を前回に続いて採択できなかった。この間、NPT上の5核兵器国(中国、フランス、ロシア、英国、米国)、他の核保有国(インド、イスラエル、パキスタン)及び北朝鮮は、核兵器を国家安全保障における不可欠な構成要素と位置付け、程度の差はあれ、核戦力の近代化や運搬手段の更新などといった核抑止の中長期的な維持や強化を見据えた施策を講じている。核兵器国と同盟関係にある非核兵器国も、提供される拡大核抑止への依存度を一段高めたように見受けられる。核保有国によるさらなる核軍縮の合意や実施に向けた具体的な取組も見られなかった。
核不拡散を巡る状況も明るいものではない。北朝鮮は、核兵器を放棄する意思がないと繰り返し言明するとともに、核弾頭を搭載可能な各種の地上発射型ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の開発・実験を引き続き積極的に実施し、核戦力の高度化に邁進している。さらに、戦術核兵器の開発・導入も進めているとみられ、核兵器の先行使用の可能性も繰り返し示唆した。イラン核問題では、包括的共同行動計画(JCPOA)の再建に向けた米国とイランの間接交渉が断続的に開催されたが、合意には至らなかった。この間、イランはJCPOAの規定を大きく超えて濃縮ウランの貯蔵量やウランの濃縮度を増加させた。
核セキュリティを巡る状況も大きく変化した。ロシアによるウクライナ侵略のなかで、史上前例のない稼働中の原発に対する砲撃・占拠が行われ、施設の原子力安全及び核セキュリティが著しく損なわれかねない事態に直面した。これにより、従来の原子力安全に対する考え方や、非国家主体の脅威を念頭においた「従来の核セキュリティ」の定義の枠内での対策を超える国家による脅威への対応という新たな課題―紛争下における原子力施設の防護及び核物質等の盗取の防止―が浮き彫りとなった。「従来の核セキュリティ」については、原子力施設に対するサイバー攻撃やドローンを用いた妨害破壊行為の脅威は引き続き注視が必要であり、一部の先進国で対策が進んでいる。また、3月に条約発効後初となる改正核物質防護条約(A/CPPNM)の運用検討会議が開催され、現時点での条約の妥当性が確認された。
こうしたなか、核兵器の廃絶に向けた取組を進めるにあたっては、核軍縮、核不拡散、核セキュリティに関する具体的な措置と、これらの措置への各国の取組の現状と問題点を明らかにすることが必要となる。これらを調査・分析して「報告書」及び「評価書」にまとめ、人類史上初の核兵器の惨劇に見舞われた広島から発信することにより、政策決定者、専門家及び市民社会における議論を喚起し、核兵器のない世界に向けた様々な動きを後押しすることが、『ひろしまレポート』の目的である。
各対象国の核軍縮などに向けた取組の状況を調査・分析・評価し、「報告書」及び「評価書」を作成する実施体制として、研究委員会が設置された。同委員会は会合を開催し、それらの内容などにつき議論を行った。
研究委員会のメンバーは下記のとおりである。
主査
戸﨑洋史(日本国際問題研究所軍縮・科学技術センター所長)(兼幹事)
研究委員
秋山信将(一橋大学大学院教授)
川崎 哲(ピースボート共同代表)
菊地昌廣(前核物質管理センター理事)
黒澤 満(大阪大学名誉教授)
玉井広史(日本核物質管理学会メンター部会幹事)
西田 充(長崎大学教授)
樋川和子(大阪女学院大学教授)
堀部純子(名古屋外国語大学准教授)
水本和実(広島市立大学名誉教授)
作成された「報告書」のドラフトに対して、核軍縮、核不拡散及び核セキュリティの分野において第一線で活躍する、下記の国内外の著名な研究者や実務家より貴重なコメント及び指摘を頂いた。
阿部信泰 元国連事務次長(軍縮担当)/前原子力委員会委員
マーク・フィッツパトリック(Mark Fitzpatrick)前国際戦略研究所(IISS)ワシントン事務所長兼不拡散・軍縮プログラム部長
ターニャ・オグルビー・ホワイト(Tanya Ogilvie-White)核軍縮・不拡散アジア太平洋リーダーシップ・ネットワーク(APLN)上級研究顧問
鈴木達治郎 長崎大学核兵器廃絶研究センター・副センター長
『ひろしまレポート2023年版』では国内外の有識者に、核軍縮・不拡散問題の動向、並びに展望と課題に関するご寄稿を得た2。評価の方法論については、砂原庸介教授(神戸大学)、柳澤智美准教授(城西大学)及び山谷清志教授(同志社大学)のご指導・ご助言を得た。また、加藤優弥、木村一樹、高橋理都子、田村晃生の各氏には本レポート編集作業に従事して頂いた。記して謝意を表する。
1 本事業は、広島県が平成23年に策定した「国際平和拠点ひろしま構想」に基づく取組の1つとして行われたものである。
2 それらの論考は執筆者個人の見解をまとめたものであり、へいわ創造機構ひろしま、広島県、日本国際問題研究所、並びに執筆者の所属する団体などの意見を表すものではない。