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国際平和拠点ひろしま

フリッツ・ビルフィンガー – 紛争当事者以外で原爆の惨状を目撃した最初の人物 –

マルセル・ジュノー博士。1945年9月8日に約15トンの医薬品を持って,広島入りした赤十字国際委員会(ICRC)の駐日主席代表として名前を知っている人も多くいることでしょう。
今回は,1945年8月29日,ICRC職員として,そして紛争当事者以外で初めて原爆の惨状を目撃することとなる人物として,広島入りしたフリッツ・ビルフィンガー氏について紹介します。

フリッツ・ビルフィンガー氏

ⓒ赤十字国際委員会(ICRC) 写真・資料提供:赤十字国際委員会(ICRC)

ビルフィンガー氏からの電報(1945年8月30日)

1945年8月29日に広島に到着したビルフィンガー氏。その翌日である8月30日に東京のICRC代表部に電報を送っています。

1945年8月30日
東京 外務省
6 鈴木からジュノーへ。30日広島訪問,凄惨な状況。街の80%は壊滅,あらゆる病院は全壊または大損害を被る。救急病院を二つ視察,状況は筆舌に尽くしがたい。爆弾の影響は不可解なほど深刻。回復してきたように見える患者が突如白血球の変質やその他の内部損傷による致命的な症状の再発に苦しみ,膨大な数の人々が死んでいく。推定10万人以上の負傷者がいまだ周辺の救急病院におり,包帯や医薬品の深刻な欠乏状態にある。市中心部上空からの即時の救援物質投下を検討するよう粛として連合国最高司令官に要請していただきたい。大量の包帯,手術用パッド,火傷用軟膏,スルファミド,血漿,そして輸血用器具が必要。迅速な行動を要す。医療調査委員会の派遣も必要。報告を添付。受領を確認されたい。

出典:赤十字国際レビュー(日本語版),2021年1月発行,赤十字国際委員会(ICRC)駐日代表部

この電報を受けて,ジュノー博士は救援体制を組むこととし,連合国軍総司令部(GHQ)と救援を折衝し,調達した約15トンの医薬品を持って9月8日に広島入りすることとなりました。

ビルフィンガー氏が1945年8月30日にICRC代表部に送った電報

写真・資料提供:赤十字国際委員会(ICRC)

ビルフィンガー氏によるレポート(1945年10月24日)

更に,ビルフィンガー氏は1945年10月24日付で自身が目にした原爆の影響を詳細に記したレポートを作成しています。

その中には,太宰広島県庁特別高等警察課長による原爆被害に関する証言も記載されています。原子爆弾により破壊された広島県庁は,行政機能を一時中止せざるを得ない状況でした。原爆投下当日の8月6日に,広島県防空本部に指定された比治山多聞院(たもんいん)までの道中や,翌日の8月7日以降拠点となった東警察署の様子なども記載されています。

ビルフィンガー氏によるレポート(一部)

写真・資料提供:赤十字国際委員会(ICRC)


参考:赤十字国際レビュー(日本語版),2021年1月発行,赤十字国際委員(ICRC)駐日代表部

脅威と闘う,ICRC, https://e-brief.icrc.org/issue/nuclear-weapons-the-human-cost-ja/part-2-addressing-the-threat/?lang=ja

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