「記憶の解凍」プロジェクトに取り組む 庭田杏珠さんにインタビュー
モノクロ写真をカラー化することで、失われていた記憶の掘り起こしを進める「記憶の解凍」プロジェクト。2020年に出版した『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)は各メディアで紹介され、大きな反響を巻き起こしました。16歳でこのプロジェクトをはじめた庭田杏珠さんはどんな想いで「記憶の解凍」をスタートさせたのか、いきさつなどについて語ってもらいました。
●平和問題に関心を持ったきっかけは?
私は広島生まれで小さい頃から平和教育を受けてきました。でも最初は「怖い!」という気持ちが先行して、自分事として受け止められなくて。幼稚園で平和記念資料館を訪れたときも、被爆した人の姿を再現したジオラマや惨状の写真を目の当たりにして、悲惨すぎて夜眠れなくなってしまったんです。自分と切り離さないと直視できない状態でした。
だけど小学校5年生のとき一枚のパンフレットに出会ったんです。そこには今の平和公園が、かつて中島地区と呼ばれる繁華街で、地図上に当時の日常を映した、映画館やカフェなどの白黒写真も掲載されていました。それを見て「被爆前にも今と同じような日常があって、それがたった一発の原子爆弾で一瞬で失われたんだな……」と思ったら、やっと自分事として感じられるようになったんです。
あと、母の言葉も大きかったです。8月6日の広島原爆の日を前に開かれる平和集会で、体調を崩していた私が「どうして周りの子は普通に戦争の映画などを観れるのに、私はこんなに苦しいんだろう?」と相談したら、「大人でも怖いんだから仕方ないよ。でも被爆者の方は高齢化して、いずれそうした話は聞けなくなってしまう。目を閉じて、聞くだけでもいいよ」とアドバイスをくれて。その言葉で、全てを受け止めなければいけないという思いから、聞いておこうという気持ちに変わっていきました。
●「記憶の解凍」の発端
高校で被爆者の証言収録などの平和活動を行う委員会に入り、平和公園で核兵器禁止条約の締結を求める署名活動をしているとき、偶然濵井德三さんと出会いました。濵井さんの生家は原爆投下前中島地区で理髪店を営んでいましたが、原爆投下によりご家族全員を失いました。
濵井さんとの出会いの1週間後、私は、インターネットのデジタル地球儀上に被爆証言動画や資料を掲載した「ヒロシマ・アーカイブ」を制作した渡邉英徳先生(現・東京大学大学院情報学環教授)のワークショップに参加し、先生が取り組んでいる「AIによる自動色付け」の話を聞きました。実例を見たとき、私は、写真をカラー化することで写真の中の人が話しかけてくるような臨場感を感じて、強く印象に残っていました。
証言収録の時、濵井さんが疎開先に持参したために残った大切なアルバムを見せてもらいました。すると、戦前の日常を捉えた貴重な白黒写真約250枚が残されていることがわかりました。アニメ映画「この世界の片隅に」の冒頭シーンに登場するご家族に「会う」ために、何度も映画館を訪れているというお話を伺って、「濵井さんの写真をカラー化して、アルバムにしてプレゼントしたら、いつもご家族を近くに感じてもらえる」と思って。それで写真をお借りして、後日カラー化してお持ちしたら「これはお花見をしてるところ」とか「この杉並木の杉の実を鉄砲玉にしてよく遊んだ」とか記憶が次々とよみがえってきたんです。さらに「家族が今も生きてるみたい」と喜んでくれて。そこから濵井さんの証言を元に手作業で色補正を行ったんですけど、そのことを取材した地元テレビ局の特集を見て、渡邉先生が「記憶の解凍」と名付けてくれました。
1935年濵井さんと家族、親戚、近所の方たちとのお花見の白黒写真(上) 対話をもとに花の色など手作業で補正しカラー化した(下)左から4人目の母親に抱かれ白いニット帽を被った男の子が濵井さん。(写真提供:濵井德三氏、カラー化:庭田杏珠)
●「ひろしまジュニア国際フォーラム」で学んだもの
私は濵井さんと出会った高1の夏、「ひろしまジュニア国際フォーラム」に参加しました。もっとも印象に残っているのは、最後に「広島宣言」を発表する前に、フォーラムを通して学んだことを発表する報告会で、3分間英語のスピーチをしたことです。また、「広島宣言」にはソーシャルメディアの活用、映画やアニメ、スマートフォンアプリなどによる情報拡散といった私の案も採用されました。
フォーラムでは初めて海外の同世代の学生と核問題や平和について意見交換することができました。3日間、アメリカ、ロシアといった核保有国の若者とも一緒に、資料館や平和公園を訪れて、被爆証言を聞いた上で、顔を突き合わせて話したら「核兵器のない世界を実現したい」というメッセージを共有できることを実感しました。それが今の私の海外に対する関心の原点になっています。
●これからの抱負
「記憶の解凍」は人々の視覚に訴える活動ですが、もっと人々の五感に響く形でも伝えたいと思ってます。昨年は聴覚にも訴える試みとして広島出身のシンガーソングライターHIPPYさんとピアニスト・作曲家のはらかなこさんと楽曲「Color of Memory~記憶の色~」を作り、映像作家の達富航平さんとMVを制作しました。濵井さんのストーリーをもとに初めて作詞して、コーラスにも挑戦しました。8月6日の原爆の日といった特別な日だけではなく、日常の中で、カラー化写真集や音楽、「記憶の解凍」ARアプリを使いながら歩く平和公園など、教室以外の場所で、戦争や平和について想像する「平和教育の教育空間」を創っていきたいです。先日、第1回国際賢人会議を前に、国内外の核軍縮分野における有識者8名と「ユース非核特使」経験者12名と対話する機会をいただきました。その際、「記憶の解凍」を紹介し、若者がアートやテクノロジーを活かして、戦争体験者の「想い・記憶」を伝えていくことの大切さを共感していただけて、とても励みになりました。これからも表現の幅を広げながら、戦争や平和に関心のない人にも、新しい形で継承していきたいと思います。
レストハウス3階の「記憶の解凍」展示
●同世代へのメッセージ
当事者ではない私たちには、戦争体験者の見た惨状や苦しみを100%理解することは難しいけれど、でもそうした方々の心に寄り添い、受け取った「想い」や「記憶」を自分なりに表現することはできるはず。歌が得意なら歌、芸術が得意なら芸術で。みなさんの得意なものを活かして平和についてのメッセージを発信してほしいと思います。
●庭田杏珠(にわた・あんじゅ)さん。広島女学院中学・高校を経て現在は東京大学3年生。「平和教育の教育空間」について、アートやテクノロジーを活かした実践と研究を進め、戦争体験者の「想い・記憶」のあたらしい継承に取り組む。
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