当サイトを最適な状態で閲覧していただくにはブラウザのJavaScriptを有効にしてご利用下さい。
JavaScriptを無効のままご覧いただいた場合には一部機能がご利用頂けない場合や正しい情報を取得できない場合がございます。

国際平和拠点ひろしま

Event Report: MARUKI Iri【Event Report】墨は流すもの-丸木位里の宇宙-(奥田元宋・小由女美術館)

広島県三次市の奥田元宋・小由女美術館で特別展「墨は流すもの-丸木位里の宇宙-」が開催されています。特別展の様子を紹介します。(報告者:広島県平和推進プロジェクト・チーム職員)

丸木位里について

丸木位里・俊夫婦については「原爆の図」でご存知の方も多いのではないでしょうか。

丸木位里は、1901年(明治34年)、広島県安佐郡飯室村油木(現在の広島市安佐北区安佐町飯室)で生まれました。日本画を学び、日本画会展で入選を果たすと全国的にその名が知られていきました。

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された後、位里は、広島に住んでいた両親の元へと急ぎ、原爆投下から数日後には広島に入りました。妻の俊も8月15日には広島に入り、広島の惨状を目の当たりにしました。

位里の母であるスマについて、特別展で次のように記載されていました。

原爆投下時、スマは爆心地から2.5km離れた三滝の自宅にいて被災しています。早朝の仕事を終えて帰宅したところ、突然あたりがピカッと光り、落ちてきた天井の下敷きになって動けなくなりました。当時、長女アヤコ(後の画家、大道あや)夫婦が三滝の家に同居しており、アヤコの夫に引きずり出されるようにして救助されました。その後、近くの川のコンクリート橋の下に逃げ込むと、そこにはすでに多くの避難民がいて、誰もが焼けただれ、負傷し、血まみれで、裸で群れていました。橋に逃げ込む道すがら、皮がむけて垂れ下がった手を幽霊のように差し伸べて歩く人々にも遭遇しました。

特別展「墨は流すもの-丸木位里の宇宙-」解説文より

その後、親族や被爆者から話を聞いたり、入手困難だった被爆地の写真を参照したりして「原爆の図」を制作しました。占領下の日本では原爆の状況について語る事は難しかったのですが、丸木夫妻は「自分たちが伝えていかなければ」という強い意志のもと「原爆の図」を制作したそうです。

今回の特別展では、「原爆の図」だけではなく、多才な位里の作品が展示してありました。戦前から戦後まで様々な位里の作品を見ることができます。

また、広島では「原爆の図」で有名な丸木伊里・俊ですが、「沖縄戦の図」、「アウシュビッツの図」など様々な作品を通じて、平和の大切さや平和への願いを表現しています。

奥田元宋・小由女美術館では、被爆75周年ということもありますが、原爆の図の完成から70年、丸木位里没後25年という節目の2020年を選び今回の特別展を開催したとのことです。この機会にぜひ丸木位里の世界をご覧になってはいかがでしょうか。

特別展概要

会期:7月2日(木)〜8月16日(日)

*会期中の休館日:毎週水曜日(ただし8月12日は開館)

場所:奥田元宋・小由女美術館(広島県三次市東酒屋町10453番地6)

入場料金(常設展+企画展の観覧)

一般:1,000円、ペアチケット(男女のペアのみ):1,800円(2名分)、高校・大学生:500円、中学生以下:無料

ウェブサイト:http://www.genso-sayume.jp/kikaku/index.html

 

丸木位里・俊夫妻についてもっと知る

丸木位里・俊夫妻の被爆証言が情報アーカイブスで検索できます。

NHKの原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ、国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワークに二人の証言が掲載されていますので、情報アーカイブスからご覧ください。

情報アーカイブスを見る

*情報アーカイブスの閲覧には会員登録が必要となります。

この記事に関連付けられているタグ