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国際平和拠点ひろしま

「光の肖像」未来へつなぐ大切さ

   

    

「光の肖像No.24」大矢英雄

    

    

一枚の肖像画が語る次世代へのメッセージ

   

    

「光の肖像」プロジェクトに携わっていた、広島市立大学教授・森永昌司さん

    

   

被爆60周年にあたる平成17(2005)年の2年前、広島平和記念資料館の方から被爆者の体験を絵にする「被爆体験の継承」への協力の相談があり、学生達と一緒にボランティアで被爆者の証言を絵にしたのです。その後、このプロジェクトに参加した学生達から「被爆者の肖像画を描いてみたい」という声があがりました。被爆体験を継承する、つまり被爆者の方々が体験を語り聞かせるのは、そろそろ時間的にもリミットが近づいているのではないか。戦後すぐは不可能だったであろう記憶に残る被爆当時の光景を聞きながら、その人の肖像画を描き、次の世代に残す取り組みに挑み、4~5年かけて学生たちと100枚の肖像画を描き残そうと思いました。

父親の仕事の関係で、一時期広島を離れたこともありましたが、広島で生まれ育った自分にとって、幼少期に聞いた教科書には載っていない被爆者の体験や当時の街の様子は、年を重ねても忘れることなく、重たい記憶として残っておりました。父親のガンが見つかった頃に広島市立大学が新設されることを聞き、広島への帰郷を決心して、その後、新しくプロジェクトを立ち上げることになりました。始めた当初は、自分自身こんな怖いことに取り組んでも良いのかと思いましたが、ボランティアで関わらせていただいていた平和記念資料館の担当者の方に相談したところ、いくつかの被爆者団体が集まる会合の場でアピールをされてみてはどうかと、呼んでいただきお話をさせていただくことになりました。モデルになっていただけないかとお願いをしたところ、みんな拍手をして賛成してくださいました。

会合後の懇親会で、たまたま抽選で隣に座られた故高橋昭博さん(元平和記念資料館館長)から「俺たちのことを、煮るなり焼くなり好きにしていい。モデルになるから」と言われて、その心意気に心を打たれました。そして二次会はカラオケでした。心にも身体にも傷を負った人達と肩を組んで歌を歌って…。その中に無傷の自分も混ぜてもらったことで、覚悟が生まれました。人が生きた現実は人工的なものではなく、その人が体験したことの中からしか生まれない尊いものがあるのだと思うのです。被爆者の方々をより大きな視点で見たときに、次の世代に残すためには肖像画だけでなく、体験し語られた記憶を文章で添えることで、より一層その人の生き様が見えてくるように思われました。

    

    

「肖像 No.25」森永昌司

     

     

被爆直後はかなわなかったことが60年経った今はできるようになりましたが、被爆者の高齢化も進み、残された時間には限りがあります。100人以外にも、約束したのにまだ描いていない人がいらっしゃいます。本人と約束をしたので本当は描かなくてはいけないのに、その方たちももう亡くなっておられたり、どうすればよいのか気になっているところですが、私は、自分の人生において、被爆者の方々と直に接して証言を聞いて作品にするという、人があまり体験できないことをさせてもらったと思っています。

だからこそ、これからももっとこの尊い経験を語り続けていかなくてはならない、そう考えています。

     

    

2020年5~6月において「筆の里工房」(熊野町)で「光の肖像」の作品が展示された

     

    

【プロフィール】森永昌司(もりなが・しょうじ)

1959年、広島市生まれ。1988年、東京藝術大学大学院修了後、1991年から3年間、同大学非常勤講師を経て、1994年から広島市立大学芸術学部に助手として着任。現在、同大学教授を務めている。今年5~6月にかけて「筆の里工房」(熊野町)で「光の肖像」の展示が行われた

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