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国際平和拠点ひろしま

悲劇を二度と繰り返さないために 
~「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ―」展によせて~




平和記念公園、原爆死没者慰霊碑の東側に位置する「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」。原爆死没者の遺影と被爆体験記・追悼記等を収集し、整理・公開するため、2002年8月に設立されました。

入口には原爆投下時刻である「8時15分」を示すモニュメントが設えられ、周囲には水を求めて亡くなられた方々を弔うための噴水を配置。死没者数約14万人(※1945年12月末までの死没者数)と同数のタイルを用いて被爆後の街並みを表現した「平和祈念・死没者追悼空間」や、遺影とお名前を公開する「遺影コーナー」などがあり、原爆死没者を心から追悼するとともに、原爆の惨禍を全世界の人々に知らせ、被爆体験を後代に継承することを目的としています。

こちらの施設の地下1階にある「企画展示室」では、毎年異なるテーマを定め、数ある被爆体験記の中からテーマに沿ったものをセレクトし、約30分の映像作品で紹介。また、その体験記と関連の深い資料の展示も行っています。今回開催された「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ―」(2023年3月15日~2024年2月29日開催)は、ノンフィクション作家・柳田邦男(やなぎだ くにお)さんによるノンフィクション・ノベル『空白の天気図』がベースになっており、同氏が監修を務めています。原爆が投下された当時、困難な状況下にありながら、それでも「気象観測を担う者は、現象についての時間的な変化を絶えず記録しなければならない」と奮闘した気象台員たちの姿と、被爆からわずか1か月後に広島を襲った枕崎台風のことが紹介されています。


遺影コーナーを過ぎてエスカレーターを上った先、左手にある企画展示室


企画展示室に展示されている当時の気象観測器(雨量計)


企画展を担当した学芸員の橋本公(はしもと いさお)さんは、「原爆投下後に広島の街を襲った枕崎台風はまさに二重災害。原爆投下により通信網が切断され、気象情報が入ってこなかったことで、被害がより甚大になったといわれています。これらも含めて、当時起こったすべてのことを“被爆の実相”として捉え、この企画展を立案しました」と話します。


学芸員の橋本公さん。2019年より追悼平和祈念館に所属。企画展の映像制作や被爆者の遺影・被爆体験記・追悼記の収集などに携わっている


映像作品は、1年に1本のペースで通年公開しており、今回の企画展の準備には約2年を要したそうです。「私たちは、まずは体験記を執筆した被爆者のご遺族に、企画展で広く公開してよいか承諾を得るところから始めます。どうしてこの企画展を開催したいのか、伝えたいことは何なのかを、ご遺族にしっかりとご説明させていただきます。中には、『体験記を世に出したくない』『被爆者の遺族であることを周囲に知られたくない』と、体験記の公表に消極的な方もおられます。もちろん、無理強いはできませんが、当時の貴重な体験記がどれほど今を生きる私たち、あるいは後世の人たちにとっての教訓になるかを、丁寧にお話しさせてもらっています」と、橋本さん。時には被爆者のご遺族すらも他界されているケースがあり、「もう少し早ければ、この貴重な体験を多くの人に知ってもらうことができたのに」と悔やまれることも多々あるそうです。

今回の映像作品では、当時の広島地方気象台員だった福原賢治(ふくはら けんじ)さん(気象技術官養成所本科生)をはじめ、多くの関係者の体験記をもとに構成。原爆が投下された瞬間のこと、その時の気象台の様子、被爆した仲間の凄惨な身体の状態や、失った姉を懸命に探す福原さんの姿などが詳細に描かれています。橋本さんは、「これら体験記があったからこそ、ここまでリアルに表現できました。制作においては、体験記の原文に忠実であることを第一に考えています」と話します。


映像の核となるのが体験記であるため、字幕はすべて画面の中央に配置


映像では俳優の岸部一徳(きしべ いっとく)さんと、NHK広島放送局気象キャスター・気象予報士の勝丸恭子(かつまる きょうこ)さんがナレーションを担当しています。「地元の気象予報士である勝丸さんがナレーターを務めてくださったのは、非常に意義のあることだと考えています。また、この作品は被爆の実相を伝えるものであるとともに、例えば東日本大震災の後に起きた原子力発電所による災害のような、二重災害もテーマにしています。昨今は自然災害も多発しているため、より自分事として考えてもらえる契機になればと思っています」。


気象台員の一人、北勲(きた いさお)さんらが書き残した調査メモ。被爆直後の様子などが細かく記されている


訪れた人たちからは、「広島に住んでいながら、このような素晴らしい施設があることを今まで知らなかった。映像作品がすごくリアルで胸を打つ内容だったので、ぜひ多くの人に観てほしいです」という声や、「おじいちゃん、おばあちゃんの過去が知りたくてこの施設を訪れました。知り得なかったことをたくさん知ることができ、戦争や平和についてより深く考えられるようになったので、本当に来て良かったと思います」というような声が寄せられています。また、来館者の想いをしたためる感想ノートには外国語での感想もびっしりと綴られ、この施設が国内外の多くの人に平和を訴求してきたことが伝わります。

「私たちが願うのは、ただひとつ。ここで一人でも多くの原爆死没者の方に哀悼の誠を捧げるとともに、被爆の実相を伝え、世界に平和をもたらすことです」と、橋本さん。「そのためのツールとなるのが、貴重な体験記であり、それをもとにした映像作品です。この作品をきっかけに、皆さんが戦争の悲惨さを肌で感じ、『広島で起きたことを二度と繰り返してはならない』と感じることを、切に願います」。


映像作品のほか、直筆の被爆体験記や気象台員が実際に使用していた資料などを展示


企画展の内容を写真資料など、グラフィックを中心に詳しく解説している


気象台員たちが強い使命感で書き記した、原爆投下時とその後の枕崎台風による被害状況報告書は、連合国軍最高司令官総司令部(以下GHQ)によるプレスコード(※1)もあり、その存在が知られることはほぼありませんでした。しかし、1952年にGHQによる占領が解けたことで、気象台員たちが懸命に調査し、まとめた報告書もようやく世にでることがました。当時を生きた人たちの懸命な想い、命を賭して私たちに伝えようとしてくれたことを、ぜひ自分自身の目で確かめてみてはいかがでしょうか。

(※1)プレスコード 太平洋戦争終結後の連合国軍占領下の日本において、GHQによって行われた、新聞などの報道機関を統制するための規則


【問合せ】

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

広島市中区中島町1-6

082-543-6271

https://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/

開館時間:3~7月、9~11月8:30~18:00

     8月8:30~19:00(8月5日・8月6日は8:30~20:00)

     12~2月8:30~17:00

休館日:12月30・31日 

「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ―」展

2023年3月15日(水)~2024年2月29日(木)

入館無料

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