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国際平和拠点ひろしま

記録し、記憶し、伝え、広める 「ヒロシマ・フィールドワーク」

 かつて平和記念公園一帯にあった町に住んでいた人たちから話を聞き、その足跡をたどるフィールドワークなどを行っている「ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会」。代表の中川幹朗(なかがわ・もとお)さんと、協働(きょうどう)代表を務めるファンデルドゥース瑠璃(るり)さんに、具体的な活動の内容や思いについてお話を伺いました。

 「ヒロシマ・フィールドワーク」は、約40年にわたり原爆供養塔の清掃を行い、遺骨の遺族の捜索や返還にもつなげてきた佐伯敏子さんの証言を、より多くの人に聞いてほしいという思いで1994年にスタート。学生の頃から平和について学び、現在は高校教員として勤務する傍ら、自身が得てきた史実や被爆者たちの思いを積極的に発信している実行委員会代表の中川幹朗さんを中心に、「過去に起きた出来事を自分ごととして捉え、どのように未来に役立てていくか」を模索しています。

ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会代表の中川幹朗さん

 当初は原爆ドームを出発し、西蓮寺・西向寺、爆心地、元安川、レストハウスの地下などを訪れ、最後に原爆供養塔(原爆納骨安置所)の前で佐伯さんの証言を聞いて、地下に眠っているご遺骨に手を合わせるという内容でした。いわゆる碑巡りはせず、原爆の直射したところはザラザラなのに対して陰になっていたところはツルツルしているお地蔵様や、「原爆死二歳」と刻まれた墓石などを目にすることで、少しでもリアルに原爆を実感したいという思いがあったからです。

 フィールドワークの様子(左2010年、右2021年)

 佐伯さんが病に倒れた1998年から新たなフィールドワークのありかたを模索し、行き着いたのが「今案内して歩いているこの地面の下にはどんな町があり、どんな暮らしがあったのだろう」という“もうひとつの現場性”に注目したフィールドワークでした。2003年からは、旧猿楽町や中島本町に住んでいた人たちに参加してもらい、当時の様子を聞きながら町を巡るフィールドワークを開始。参加者はさまざまで、学生や社会人、かつてこの一帯に住んでいた人などが集まります。2013年には、映画『この世界の片隅に』の片渕須直(かたぶち・すなお)監督が「当時の町のことを知りたい」と参加されました。ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会として、アニメで描かれる町の姿の再現を手伝いました。

フィールドワークを行う中で集まった被爆前の町の様子がわかる写真

 またこの頃から、「記録し、記憶し、伝え、広める」をテーマに、フィールドワークでの証言などをまとめた本の自費出版もするようになりました。現在出版されている本は11冊で、『証言 原爆納骨安置所と佐伯敏子さん』を皮切りに、2022年に出版された最新刊の『原爆納骨安置所を守り続けて 佐伯敏子さんの証言』へと続いています。

これまで自費出版してきた冊子の一部

 出版された本を購入するのは、「かつてこの町に親族が住んでいた」などのつながりがある人が多く、そこから新たな証言者に出会え、当時の様子がより詳細にわかっていったケースも少なくないそうです。紙芝居や猿回しが来てにぎわい、川で水遊びをしながらエビ採りに夢中になっている子どもたち……そういったささやかな日常の出来事が、中川さんの中に鮮やかな当時の姿をかたちづくってきました。

当時の住民が描いた町の記憶

出版された本の中には絵にも重きを置いて制作されたものがあります。それが、『消えた町 記憶をたどり 絵と証言 森冨茂雄』と題した本です。森冨さんが描く絵は、年代までもが細かく設定されており、細密な絵によって当時の町の姿がまざまざと浮かび上がってきます。

この絵をもっと広めたい、海外の人にも知ってほしいと考えていたところ、縁あって広島大学平和センター准教授のファンデルドゥース 瑠璃さんと出会い、翻訳を依頼。瑠璃さんは二つ返事で引き受け、2019年から会の協働代表を務めるようになりました。

協働代表のファンデルドゥース 瑠璃さん

平和や世界紛争、記憶学をテーマに研究を続けてきた瑠璃さんが、「研究してきたことがつながった」そう感じたのが、ヒロシマ・フィールドワークとの出会いだったそうです。

戦争を遠い昔の歴史的事実として捉えるのでなく、たくさんの人から話を聞き、その記憶を自分の中に息づかせて継承していく中で、「あの時はどちらが悪かった」という善悪の判断で終わるよりも、当事者感覚で「今後どのように国と国、人と人が付き合っていくのか」「どうすれば諸々の問題を解決できるのか」という建設的な判断ができるのではないかといいます。

「記憶は流動的なもので、うつろいやすいんです。間違うことも、変わっていくこともあるし、それでいい。だからこそ、そのゆとりの中に未来を変えていく力があるんじゃないかと思います。互いのもろさを認め合う場をつくりたいんです。中川先生は広島をもっと掘り下げる活動を、私はそれを国内外に発信することが役目だと思っています。」

実行委員会では、記憶を受け継ぐためにも、実際に自分の足で広島を訪れ、体験を重ねてほしいという思いから、フィールドワークのほかにも、「ぴーすくる(広島市シェアサイクル)」で巡るツアーやピースツーリズムに関することにも力を入れます。

国際共同研究チームと行った被爆電車でのピースツーリズム

「今の広島には色々な楽しみ方があります。例えば平和公園近郊だったら、船に乗ったりSUPをしたり。そうした中で雁木に気付いたりして、あぁ、そういえば森冨さんの本の中に雁木が出てきたな、ここで子どもたちが遊んでいたんだよねって、記憶と体験が紐づいていくと思うんです。原子爆弾がさく裂したあの日の出来事だけではなく、あの日から続く今日までが被爆の実相なんです。広島が今日まで行ってきた平和への努力は無駄ではありません。記録し、記憶し、伝えていくことが私たちの責務だと思っています。今聞いて未来へ引き継がなければ。」と中川さんと瑠璃さんは話してくれました。

先人たちが語り継ぎ、私たちに残してくれたものを自分ごととして受け取ることができれば、“生き続けるヒロシマ”と平和な未来を切りひらくエネルギーを、次代へとつなぐことができるのかもしれません。



【DATA】

ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会

問い合わせ:中川(090-2299-9107)

広島大学平和センター
ファンデルドゥース瑠璃(lulidoes@hiroshima-u.ac.jp)

Twitter https://twitter.com/hfw_motoo

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